海苔養殖の歴史

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海苔養殖の歴史

■所在地佐賀市川副町
■登録ID2057

 有明海の佐賀県沿岸が海苔畑になって、かれこれ50年。その間の成長ぶりは他県にないユニークな試み、よその産地で見られない独自のプロセスが佐賀海苔を名実ともに日本一にした理由である。
【水揚げ高日本一(6年連続) 平成15年〜現在・ 川副町のシェアー45.3%】
 それは、有明海という恵まれた漁場環境に加えて、常に海苔を育てる漁家と漁連・県・大学が一体となって海苔づくりに取り組んできた軌跡からもうかがえる。
 とりわけ昭和43年から全国でもユニークな集団管理方式を打ち出して以来、その成果は目覚しいものがある。これは前年に起こった異常干ばつと疑似白ぐされ症による大被害の反省を踏まえての大決断でもあった。まず県と漁連は海苔漁場の新たな区画整理を徹底して基盤の目を作った。
 これまで密殖していた漁場は船通しあるいは潮通しと呼ばれる水路をスッキリさせた。
 潮の流れが良くなったことで、病害を免れるだけではなく、漁船の航行がスムーズに出来るようになり、さらに良質の海苔が生産されるようになった。
漁連・漁協は集団管理方式を漁家に徹底して指導しながら、さらに漁場環境の改善、採苗や養殖技術の集団管理、冷凍網の導入等の対策を着実に進めてきた。そして生産の増大、安定化に成功した。
しかし、昭和40年代にはいると冷凍保存網の技術が開発され海苔養殖ブームとともに生産量が急速に伸び、こうした過剰生産が問題になり始めたなか県は量産から品質への転換つまり「うまい佐賀海苔つくり運動」を昭和49年度からスタートさせた。昭和51年には佐賀海苔の平均単価が全国一になり、運動の成果が海苔の一枚当たりの単価に現れ始め、この年に全国で始めてフリー糸状体の種苗センターを作り、格安で安定した種苗を各漁協に配布するのが目的で、こうして人々がお互いに力を出し合い、協力した結果、佐賀(川副)は全国で優秀な海苔の産地として、知られるようになった。

出典:平成18年4月発行(改定)発行/新うまいのりつくり運動推進本部: 佐賀市水産振興課 海苔共販状況調書