大応寺

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■所在地佐賀市北川副町大字新郷751
■年代中世
■登録ID2346

北条時頼が西国廻国の時熊本より有明海を渡り、肥前の国に来られた。その時たまたま大風にあって、航海に非常に難儀され、海底に潜らせて石を8個拾って、八代竜王として祀られたところ、波もおだやかになり、無事に渡ることができ、海岸にあがって、その中の4個を持参し、八田江のほとりのこの地に祀って寺を起こされた。
これが現在の大応寺の発祥である。
現在もこの4個の石は観音堂に祀ってある。開基は、弁重大徳、これが時頼公と思われる。
開山は月峰和尚大禅師。
時頼公入寺以来、民心は安定し、益々寺院は繁栄し、広大な地域に七堂伽藍が完備されてその威厳は荘厳だったという。領地約50町歩、他に三養基郡に3か所、神埼郡に2か所、大牟田市付近に2か所、以上の広い寺領地を所有していた。
本尊は時頼公を祭主とし、愛宕山の勝軍菩薩(秘物)で蓮華座に坐る1尺3寸の仏像が祀られている。その後時代の変遷と共に、寺院は衰微の一途をたどり、今日では伽藍の一部を残すのみとなる。
この様に700年の長きにわたる由緒ある、大応寺であり、江上の福満寺と共に旧き歴史をひもとき、北川副町の誇りのためにも、檀信徒の皆様の、仏恩報謝と祖先に対する報恩感謝の無限の願いを念ずる思いを認識され、禅宗南禅寺派の寺院の安泰を計られたい。
また境内には、軍国比翼塚と江副次郎、美子二人の墓が建っている。

出典:わが郷土北川副町の歴史p123

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