紺屋町の六地蔵さん

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■所在地佐賀市紺屋町
■年代近世
■登録ID2530

 地蔵尊は観音菩薩とともに、最も庶民に親しまれ信仰されている菩薩である。県内の地蔵菩薩石像としては、明徳2年(1391)南北朝末期から室町時代前期の応永年間(1394−1428)にまず出現しているが、六体の地蔵を一石に彫顕した六地蔵の造立が室町時代の後期に盛んになった。
 地蔵尊は、六道(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)を輪廻転生する衆生を救済するということから、六つの分身と考え六地蔵としたと云われる。
 佐賀県内で一番古い六地蔵さんは、文明16年(1484)に造立された嘉瀬町荻野の路傍にあるもので、路傍にたつ地蔵尊の信仰は、道祖神よりも盛んなように見受けられ、あるいは塞(さえ)の神に習合して路上守護の役目を果たしたかもしれない。
 寺院や部落の出口、墓地の入り口に多く見ることができる。このようなものは、近くでは、大財の精金寺、六反田の長楽寺、愛宕神社、清心院等にある。
 紺屋町の六地蔵さんは、宝暦13年(1763)の銘がある。この形式のほか、塔身を二段に分け、上に六観音、下に六地蔵を半肉彫りにしたものもあるが、九州地方の一石六面と十二面の様式は、他地方に類を見ないと云われている。

出典:循誘史跡探訪歩こう会(P.11)

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