天穂山 光照寺

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天穂山 光照寺

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■所在地佐賀市富士町大字大串796
■年代近世
■登録ID2758

 宗派 浄土真宗本願寺派
由緒 菅原道真8世の孫良政、北野天満宮社職となり、その子良清代、同社に向かって右側の右近の馬場(道真の産湯の地)に由って、菅原を右近と改姓、その孫良遠、天永元年(1110)肥前国川副郷土師(諸富町)に下向、鍋島蛎久に移り(蛎久は太宰府安楽寺の庄園であった縁故で)、蛎久天満社職となり、その子満遠は蛎久・木の角200町の地頭となる。それより、5世良尚、千葉氏に属し弘安の役の軍功により大串50町加恩。慶長14年(1609)佐賀の築城が完成に近いころ、当時の肥前国府は蛎久にあったが、それを現在の佐賀へ移転するに当たって、藩祖直茂から、蛎久の地頭であり、社職であり、血縁関係もあったところから右近刑部は、城下町つくり支配の命を受け、企画・監督に当った。その屋敷跡は六座町に右近(北面)天満宮として残っている。刑部の叔父慶念は浄土真宗に帰依出家得度、有縁の地大串に庵室を営み、慶長12年(1607)京都本願寺に詣で弥陀の尊像を受けて本寺を開基、光照寺と号し法名を浄慶と改め再び上京、第12世准如上人より宗祖の画像を受け97歳の長寿を保って示寂。嗣子として甥刑部の曽孫慶円、直茂公菩提のため出家第2代を継いだ。第3世 真海 第4世 林雪 第5世 空 第6世 性空 第7世 原道 第8世 順恵 
現本堂建立は宝暦3年(1753)、檀家数210戸、敷地面積754坪、建物133.5坪

出典:富士町史下p.411〜p.412

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