松永琢磨
松永琢磨
■所在地佐賀市富士町
■登録ID2881
明治23年(※)~昭和32年(1890~1957年)医学者
明治23年2月21日旧北山村下無津呂にて出生。温知小学校(北山小の前身)から旧制佐賀中学校、旧制山口高等学校を経て、明治40年東京帝国大学医学部を卒業。明治44年から大正11年6月まで福島県立病院外科部長として勤務。その間約2年間に亘り、ドイツ・スイスの各医科大学で留学、帰朝後医学博士の学位を取得。日本大学医学部教授に就任、更に同大学附属病院長の要職に就き、宮内省侍医拝命、大正14年医療法人道園会東京松永病院を設立。昭和20年8月の終戦まで昭和天皇侍医となる。昭和29年北山中学校新築記念として、オリンパス顕微鏡2基を寄贈した。昭和32年3月鎌倉市内の別荘で逝去。享年67歳(※)。
※出生年と享年について、『人事興信録 第12版下』(昭和14年)に「明治十三年二月出生」とあり、『栄国城人国記』『佐賀県教育史』第2巻等の記録からも、出生年は明治13年(1880年)、享年は77歳である。
出典:富士町史下p.357〜p.358