お茶屋跡

お茶屋跡

■所在地佐賀市久保泉町
■登録ID2935

 川久保には、小学校北に広い地域の『屋形』がある。東の屋形は隈本山の麓古川氏方前をいう。ここは大阪在の神代良夫氏系の屋敷跡で、戦災前の系図で確認した。西の屋形は学校北のことだろうか。
 勝宿社前に館があったと言う人もあるが、確証がない。
 西原東の「お茶屋」には、城内の神代屋敷(今の県庁舎一帯)からたびたび直系が訪れ、或は明治前後は居館として使用されていた。『川久保別邸内に享保年間(1716〜1736)、館新営』とある。ここがお茶屋という名で「川久保さん」(神代直系)が起居したであろう。
 茶室があり、館があり、お庭焼の窯跡や学舎があったであろうお茶屋は、直系や家臣の離散・代替りで屋敷は転々と人手に移り、今は顧みる人もなく、それこそ根刮ぎ土取場となって、昔の面影は全く失せた。

出典:久保泉町史跡等ガイドブックp.94〜95