関行丸古墳

関行丸古墳

  • 関行丸古墳
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■所在地佐賀市久保泉町大字川久保 個人
■文化財指定状況佐賀県 史跡
■文化財指定日昭和47年3月29日
■登録ID5319

脊振山南麓の狭い扇状地上に立地する。東に神籠石(こうごいし)で知られた帯隈山(おぶくまやま)、西に139.5メートルの山丘によって囲まれた平地に位置する前方後円墳である。昭和32年(1957)に佐賀県教育委員会、九州大学が発掘調査を実施した。後円部径35メートル、周囲の水田面からの比高差4.5メートル、幅13メートル、高さ1メートルで主軸の方向は西25度南である。葺石(ふきいし)・埴輪(はにわ)などの外部施設は認められない。
内部主体は短い羨道(せんどう)をもった単室の横穴式石室で後円部にあり、北側くびれ部に向かって開口する。石室は長さ4.35メートル、幅2.8メートル、高さ2.65メートルで、奥壁の方が前の部分より約0.8メートル広い。側壁の架構は腰石の上に比較的小型の塊石を平積みにしてせり上げている。石室内は石障(せきしょう)によって区画された3つの屍床(ししょう)がつくられている。1つは北側にあって東西に長く、他の2つは西側にあって南北に長く、奥壁に平行して前後に並列している。3つの屍床には計5体の遺骸が埋葬されていた。石室内は天井部と羨道部を除いて、屍床から床石に至るまですべて鉄丹(に)が塗られている。羨道の幅は玄室に接するまで1.2メートル、開口部が2.2メートルで「ハ」字状に先開きである。
副葬品は、鏡4面、金鋼製冠帽、貝輪、勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、小玉、鉄鏃(てつぞく)、刀子(とうす)、辻金具、鋲(びょう)金具、三環鈴(さんかんれい)等が出土している。当古墳は6世紀初頭ごろの築成と考えられる。