大隈重信旧宅

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大隈重信旧宅

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■所在地佐賀市水ヶ江二丁目 佐賀市
■文化財指定状況国 重要文化財
■文化財指定日昭和40年6月4日
■登録ID5348

佐賀城下の東部にあって東西に通るいわゆる「佐賀の七小路」は北から順に「馬責(うません)馬場・通り・椎・花房・中の橋・枳(げす)・会所」の各小路で、佐賀藩の中流クラスの石高の武士が住いしたところである。大隈重信の旧宅はこの一番南の会所小路の南側にある敷地約315坪(1039.5平方メートル)、建坪約45坪(148.5平方メートル)の佐賀地方に多い「コ」の字形をしたかぎ屋の一部平屋、一部2階造りの家である。2階は重信の勉強のために母親が建て増したものといわれている。
大隈重信は、天保(てんぽう)9年(1838)この家で父大隈信保、母三井子の長男として生まれた。父信保は鉄砲組頭(くみがしら)などをつとめた人で、天保3年(1832)にこの家を買得した。重信は誕生以来ここを住居とし、幕末動乱期国事(こくじ)に奔走(ほんそう)し、明治元年(1867)ここを去って東京へ移った。
旧宅は建築当初からすると2間ばかり北にひかれ、玄関に改造のあとがあり、また台所は撤去されて管理部屋が付設されるなど、少し改造されているが、座敷・次の問・居問等の主要部はよく残っている。また、昭和43年(1968)に解体修理されている。
現在、佐賀城下の武家屋敷は屋敷の門をのぞいてはほとんど残っていない。その意味からも大隈重信旧宅は佐賀城下の一般的な武家屋敷のありようを示すものとして貴重なものといえる。

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