櫨(はぜ)の木・南京櫨(唐櫨)の木

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櫨(はぜ)の木・南京櫨(唐櫨)の木

■所在地佐賀市巨勢町
■登録ID664

佐賀藩第10代藩主鍋島直正公は、藩の財政立て直しや殖産興業を断行した。その中で、100年位前から九州各地で広がり、佐賀東部地区を中心に盛んだった櫨の栽培に1843年、筑後から仕入れた苗木25.000本を村々に配布し、佐賀で生産された蝋は好評で、巨勢村は中でも有名な産地であったようである。
真崎照郷氏は18歳で櫨から油と蝋を取り出す機械を発明したと記されており、巨勢村は有名な産地であったと思える。
昔は、クリークの周囲には大きな唐櫨(南京櫨)があったが、近年圃場整備、開発でほとんど見当たらなくなったが、構口、二木、修理田、高尾小路、西分の焼原川沿いに今でも大木が存在する。
東西(佐賀江沿いの地名)には当時「蝋屋」があり、佐賀江沿いに取引があったとされている。

出典:ワークショップ