東名(ひがしみょう)遺跡

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東名(ひがしみょう)遺跡

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■所在地佐賀市金立町千布東名
■文化財指定状況国 史跡
■文化財指定日平成28年10月3日
■年代古代
■登録ID1755

東名遺跡は、今からおよそ8,000年前の縄文時代早期の遺跡で、国内最古の湿地性貝塚です。遺跡には居住域・墓地・貝塚・貯蔵穴がセットで残されており、縄文時代のムラ全体の様子が良くわかる国内でも数少ない例として貴重なものです。
 また、縄文海進の影響で、遺跡全体が厚い粘土層に覆われるなど保存条件にも恵まれ、国内最古級の様々な遺構・遺物が良好に残存しており、日本の生活文化の源流を考える上で極めて重要な遺跡です。

 洪水対策の調整池造成により貝塚が発見された。塞ノ神(せのかん)式土器が一緒に出土したため縄文時代早期(7000年前)の貝塚とわかった。縄文早期の貝塚は全国でも発見例が少なく、佐賀平野では初めてであり西日本最大級の貝塚である。遺跡からは貝殻の他土器や石器、動物の骨、骨格製品、木編みのかご、木の実、木製品などと、貝殻から出るカルシウムの作用により動物質の遺物や、この地が湿潤な地層であったため植物質の遺物が極めて良質のまま保存されていた。

出典:歴史とロマンの町金立町マップ

遺跡の重要性
東名遺跡は縄文時代早期段階としては、南北500m以上と広域に及ぶ国内最大級の貝塚群で、6ケ所の貝層の総面積は約1,700㎡を超える。さらに、集落・墓地・貝塚・貯蔵穴がセットで確認され、当時の生活様式や文化を知る数少ない例として、その学術的価値は非常に高いものと言える。貝塚としては九州最古級で、縄文貝塚の空白地帯である有明海最奥部の佐賀平野で発見された。周辺低平地の完成は海進最盛期の6,000年前頃と推定されていて、東名遺跡の発見により海進以前(縄文時代早期)の貝塚は地中深く埋没している可能性が出てきた。佐賀平野の鍵を握る遺跡で、九州貝塚の初期的なあり方を知る上で資料として重要である。湿地遺跡は東日本を中心に分布しており、福井県鳥浜(とりはま)貝塚や神奈川県羽根尾(はねお)貝塚、山形県押出(おんだし)遺跡、青森県三内丸山遺跡等、前期段階の遺跡は知られているが、明確に早期まで遡る例はなかった。九州においても前期まで遡るのは長崎県伊木力(いきりき)遺跡、熊本県曽畑(そばた)貝塚がある程度で、ほとんどが中期末以降の所産である。このように東名遺跡は国内最古級の湿地遺跡として位置づけられ、当然の事ながら出土する植物性遺物の大半が最古例となる。水場を含めた低地部の初現的な利用状況や植物質素材の初現的な利用方法及び加工技術を知る上で貴重な資料を提供している。さらに遺物として特筆すべきは、最古の網みかごが多量に出土していることで、他の遺跡と比較しても質・量ともに群を抜いていることである。従来の資料では難しかった全体構造や機能・用途論をより具体的に展開できる情報を持ち、編組(へんそ)製品研究には欠くことができない資料として注目されている。

出典:有明の縄文文化  (P4) 佐賀市教育委員会発行

東名遺跡ガイダンス展示コーナー開設
佐賀市金立町千布にある東名遺跡に隣接して、遺跡のガイダンス展示コーナーが開設されました。巨勢川調整池佐賀導水管理棟の1室に開設したもので、パネルと出土遺物の展示が中心となっており、遺跡の特徴を解説しています。中でも第2貝塚の貝層剥ぎ取りの展示は迫力があり、必見です。また、遺跡にも近く、東名遺跡をより身近に感じていただくことができると思います。 入場無料

【開館日】火~日曜日・祝祭日 10:00~16:00(入館は15:45まで)

【休館日】月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は翌日)

出典:文化振興課からのお知らせ

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