乾亨院

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■所在地佐賀市中の館町7-11
■年代中世
■登録ID2405

【宗派】南禅寺 臨済宗
【山号】四徳山
佐賀城本丸歴史館と城堀を隔てた南東の地点にあり、龍造寺隆信の生誕地と隣合っている。
永正年間(1504〜1521)隆信の曽祖父、山城守家兼(剛忠)の創建で、その弟天亨和尚が開山。この乾亨院には、明治7年の佐賀戦争に戦死した陸軍将兵が埋葬され豪壮な大理石が3基ならんで建てられている。右が中隊長大池蠖二大尉以下2名の将校の墓。中は下士官20名の階級と氏名が刻まれ、左が兵卒75名と軍属9名の身分、氏名が刻まれている。3基とも背面には「明治7年佐賀役戦死者の墓」と刻んであり、裏面には白川県、第二大区九区宮内村と刻んである。白川県は明治16年熊本県となる。墓碑にある隊号は、熊本鎮台第十一番大隊のことで、佐賀不穏の情報によって鎮圧のために派遣されたものである。新任の岩村通俊佐賀権令とともに佐賀城に入り、佐賀軍と銃火を交えて敗北した。この寺の境内には官軍と戦った征韓党の実際の指導者だった朝倉弾藏の墓もある。 

出典:あゝ佐賀城その歴史と周辺P33

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