侯爵鍋島家佐賀内庫所

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侯爵鍋島家佐賀内庫所

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■所在地佐賀市水ヶ江一丁目
■登録ID2442

 明治以降、鍋島家の御館は城内の三の丸であったが、明治7年2月に起こった佐賀戦争により焼失した。筋違井樋辺より県庁(本丸)めがけて大砲を発射、御館が矢向になり、2月16日午前10時頃より御館に火が掛り、蔵々共残らず焼失と「日記」(※鍋028−1)にある。
 その後、鍋島山城(親類・白石鍋島家)抱地であった宗龍寺東側の地に移転、明治9年5月「佐賀御館御玄関より役所迄の処藁葺に候処、当節瓦に葺替相成候事」とあり、比較的質素な建物であったようだ。一般的に内庫所と言われていた建物は、明治末から大正初めにかけて改築されたもので、大正5年の陸軍特別大演習には摂政殿下(皇太子)お成りの予定であったが、聖上の様態が思わしくなく、急遽閑院宮が代わりを務め、新築の内庫所に宿泊された。
 当屋敷は、戦後手放され、宗教団体の善隣会所有となったが、昭和40年ごろ、武雄の御船山観光ホテルに移築され、部分的な改築はあるものの、鍋島報效会所有の平面図と比較してみると、ほぼ原型を留めて現在も客室として使用されている。

※鍋島文庫整理番号028-1

※写真は内庫所のあった場所に建てられた市民会館。市民会館は2016年3月末に閉館し、現在は別の建物が建っている。

出典:地域の人の説明

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