本庄神社 | さがの歴史・文化お宝帳

本庄神社

所在地 佐賀市本庄町大字本庄1156
登録ID 755

出典資料から記載

本庄妙見山淀姫大明神の本地は十一面観世音で第29代欽明天皇の勅願で欽明天皇25年(564)9月28日の夜、末次村の正直者丹次郎と言う農夫が薪取作業中、突然大地が震動して、2本の霊木が生じて、五色の雲、金色の光がさして何処からともなく妙なる音楽が聞こえて、雲の中より気高い垂髫(スイチョウ)の一人の童子が出現して「我は是淀姫の神霊也」と申されて、色々不可思議な霊験を示された。領主の小寺左衛門大夫安利は丹次郎より霊験奇談を聞き、この丹次郎を連れ、上洛して欽明天皇に奏聞した。天皇は叡感ななめならず(天皇が感嘆すること)畏くも綸旨を下し賜い、なお霊場を建立された。その後小寺は神託に乗じ自ら神主となり、女房を命婦(官位ある女房)とし、同じく座主場を慶正寺と号し、毎年9月27日より28日まで、神事祭礼を掌ることとなったとある。
その後永正9年(1512)2月に鍋島清久(直茂公の祖父)が再興し、天文2年(1533)にその子清房が建立した。その後慶長17年(1612)8月直茂が神殿を新たに造営した。承応2年(1653)に至り、光茂(2代藩主)が更に造営した。
社殿宏壮にして、境内は甚だ広く、本殿より下の宮間の馬場の如きも5間幅(約9m)にして、幾多の大樹鬱蒼としていたが、今はその面影を残していない。
明治4年(1871)12月郷社に列せられる。祭神は豊玉姫命であり、仁徳天皇、日本武尊、天照皇大神、日子神、伊奘諾那岐神、龍王神、猿田彦神の七柱の神は、無格社合祀により追加をなした。また、明治40年(1907)近郊の雑社二十八社を集め合祀し、多くの石造物が本殿裏に移されている。
與賀郷の産土神社として、末次その他は與賀神社より分離し(明治4年(1871))本庄神社となり、毎年11月28日をもって祭日と定め(現在は10月)氏子区順番にて浮立、相撲、手踊等で賑わいをなしていた。
 明治40年2月15日神饌幣帛料供進定
 当時の氏子戸数 817戸
出典:かたりべの里本荘西分P.31本荘の歴史P.19

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