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[神社仏閣][神社][日新校区]は4件登録されています。
神社仏閣 神社 日新校区
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護国神社
戊辰戦争で戦死した佐賀藩兵78柱を祀るため、鍋島直正の意を受けた、その子直大が1870年(明治3年)に建立した神社です。その後、たびたびの戦役事変による戦病没者の霊を順次合祀して、今日では3万5千5百余柱の多きに達しています。毎年春秋の2回、全県の遺族を招き大祭が行われています。 この神社の太鼓橋のかかっているところは、昔は石井樋からの船下りの終着場としてにぎわったところで、現在は夏休み中、水遊び場として子ども達に開放され、市民に親しまれています。
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北面天満宮
穀物座、縫工座、煙硝座、木工座、金銀座、鉄砲座の六つの座で構成されたところから名のついた六座町。この町の守護神が北面天満宮です。 入口にある肥前鳥居には1658年(明暦4年)の銘がみえます。棟門には水神の河童の木像が掲げられていますが、川に子どもが落ちて、おぼれているのをこの河童が飛び込んで助けたということで、それ以来、河童は棟門の上から下の流れを見下ろして番をするようになり、川に落ち込む子どもがいなくなったという言い伝えがあります。境内には、吉田南鴎の「乾坤の息づき星の瞬ける」の句碑があります。
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道祖神社
祭神は、猿田彦神で交通神として知られています。与賀神社の末社で、与賀神社参道のこの地に古くから鎮座されていたと伝えられています。 この社は、1964年(昭和39年)道祖神1400年祭を施行した古い歴史をもっています。
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伊勢神社
慶長8年(1603)鍋島町蛎久にあった伊勢大神宮の分霊を勧請してこの地に創建された。 藩祖鍋島直茂夫妻がこの社に参詣して長子勝茂(幼名伊勢松)の誕生をみたからと伝えられている。伊勢町の名はこの神社からとられたもので、ここの門前には江戸時代多くの旅篭屋があり、いまでもその面影を町並に残している。 伊勢大神宮の御分霊を勧請することは許されないことであるが、杉野隼人という人が戦国時代に、53回もお伊勢参りを繰り返したことから、大神宮の祠宮を感激させて佐賀だけが破格の恩典に恵まれたという。 毎年2月11日午前零時から玉替えの行事があり、商売繁昌や家内安全を祈願する参拝客で、いつもはひっそりとした静かな街道筋も、この日だけは祭の人出でごったがえす。祭の費用は佐賀市在住の大神1名、小神10名が支出する仕組みになっている。 この神社の入口にある肥前鳥居は、室町時代の末期ごろ肥前に発生した独特の石造文化財の一つで、江戸時代前期に最盛期を迎え、肥前の武将たちが好んだといわれ、慶長12年(1607)の造立銘があり、石造文化財としての価値が高い。 この神社の境内には寛文7年銘のある石彫の狛犬が二体点在している。きわめてユーモアに富み民芸的な格調を温存している。