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[指定文化財][歴史資料][日新校区]は2件登録されています。
指定文化財 歴史資料 日新校区
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木原隆忠の墓誌
重要文化財
木原隆忠(文政11年~明治12年、1821~1879)は、佐賀城下に生まれ、藩校弘道館に入学。そして江戸昌平黌に学び、後、弘道館教諭を務め、戊辰の役では参謀として江戸に入り、そして会津戦争に参画した。佐賀の役ではその善後策に尽くし、後には家塾を開いて子弟教育にあたるなど数々の功績を残している。 その徳を慕って、同志117名が建立した「木原先生之墓」が法蔵院(廃寺、伊勢町)跡の墓地にある。この墓から砂岩で加工された墓誌が出土し、現在法蔵院の本寺の大覚寺に保存されている。 墓誌は、死者を哀悼追慕して、金属板や塼、石などに姓名、経歴、没年、法名などを記して墓内に埋納する副葬品である。 この墓誌は、市内では多久安輝の墓誌についで2例目のものである。 この木原隆忠の墓誌は、肥前の近世墓誌の系譜をそのまま受け継いだ簡潔なものの一つであり、墓末~明治維新期を研究する上で、貴重な歴史資料である。
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多久安輝の墓誌
重要文化財
多久安輝の墓誌は、県内では多久市の「川浪自安先生墓誌」に次ぐ2例目のものである。形状は縦7センチメートル、横35センチメートル、高さ16センチメートルで重箱状を呈し、石質は安山岩系である。 墓誌には、多久安輝の父は多久美作守で、五男。母を本藩主勝茂の二女とし、城内水ヶ江で生をうけ高木村にて数え69歳で没したことなどが記されている。安輝については多久家系譜にもその名が見え、生誕{正保2年(1645)9月29日}、没年月日{正徳3年(1713)5月14日}も一致するが、その人物に関しては詳しい資料がなく、今回の発見がその手がかりになると考える。また、慕誌の埋納は儒学隆盛を背景にして古代の風習を再度取り入れたもので、佐賀藩における儒学研究を行う上で重要な資料といえる。