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[指定文化財][歴史資料][赤松校区]は2件登録されています。
指定文化財 歴史資料 赤松校区
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石長寺中興記碑(1基)
重要文化財
石碑は安山岩製で「石長寺中興記」の碑と亀趺という亀形を呈した台座からなる。文字は頂部に横書きで、表面に「石長寺」裏面に「中興記」を刻み、その下に縦書きで表裏ともに1行47文字で15行の文字を配する。 台座の亀趺は南向き(旧位置図では東向き)で、頭部を欠損している。亀趺は、現在までのところ、佐賀県下で約20例が知られているが、この「石長寺中興記碑」と多久市西渓公園内にある「大宝聖林■萬古長春石」碑以外は明治期のものであり、享保14年(1729)銘の「石長寺中興記碑」は正徳5年(1713)銘の「大宝聖林■萬古長春石」碑に次いで古いものである。 なお、「石長寺中興記碑」は石長寺境内に置かれているが、道路拡張により原位置ではない。 【銘文の内容(概要)】 医王山石長寺の創建時期や開山開基については不明である。中古に明室心光大姉(龍造寺隆信の妹)が中興したが、今は大姉の墳墓・霊碑が残るのみである。近年再び荒廃していたが、豪商柿久良悦が私財を投じて堂宇・庫裏・山門を新築し、本尊を補修するなどして石長寺を再興した。また、境内に法華経一万部読誦の回向塔や石造地蔵六体などを造立した。 「石長寺中興記碑」は、明室心光大姉、柿久良光・良悦、石長寺の略歴についてのほぼ唯一の資料であり、戦国時代末期から江戸時代中期にかけての佐賀の歴史を知る上で貴重な資料である。 また亀趺は、近世初頭に日本に伝わった石造物の洋式であり、本例は県下で最初期、全国的に見ても早い時期のものである。
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赤松小学校の校務日誌 一括
重要文化財
赤松尋常小学校は、明治41年(1908)に創立され昭和16年(1941)の赤松国民学校を経て、昭和22年(1947)に佐賀市立赤松小学校となって現在に至る。創立時には佐賀高等小学校及び市議会の一室をもって仮校舎としていたが、明治22年(1889)に佐賀城本丸跡の東半部に市立佐賀商業学校の新築完成後、西半部に新校舎を建て、平成5年(1993)までこの地に存続した。 この赤松小学校には、創立からの校務日誌が保存されている。日誌は墨書、ペン書き、ボールペン書き(鉛筆書き)と時代を追うごとに変化しているが、そこには校内の行事を中心に、当時の学校生活の内容が記されている。また、行事関係だけではなく、その時代の状況も推しはかられる記事があり、佐賀市の近現代の歴史を垣間見ることができる。 例を挙げれば、大隈重信や伊藤博文の死去に際しての学校としての対応、昭和大恐慌時の古賀銀行休業に関する人身動揺に対しての学校としての対処、戦時下の空襲の状況などがあり、校務日誌のなかにも所々に社会情勢が反映されている。 この日誌は、学校教育の歴史を物語るものとしてだけではなく、佐賀市の近現代の歩みを知ることのできる資料として貴重である。