江戸時代には、街道又は脇街道などの主要幹線道路が整備され、街道には一里塚あるいは道標などが設けられて、陸上交通は著しく発達した。
この道標は、長崎街道に設けられた道標の一つで、佐賀城下の長瀬町から長崎街道をそれて、南の諌早渡海場へ通ずるその分岐点に建てられていた。
安山岩製の方柱の上端は、しのぎがあって山形に削られていて、地表からの現高は約122センチメートル、幅は21センチメートルで、方柱の二面に方向が刻まれている。
方柱の上端に一指をのばした手を刻んで方向を表示し、その下に行先の地名が刻まれている。手はまわりを彫りくぼめて浮彫りにし、文字は平仮名を用いて陰刻している。
一面には、「ながさき道、こくらみち」と、2行に、他の1面には、「いさはやとかいばへ」と1行に刻まれている。
この道標が設けられた年次は明らかでないが、その様式からみて江戸時代の中期以降にくだるものであろうと推定される。
江戸時代の街道は、そのほとんどが改変され、一里塚や道標もほとんど姿を消してしまった今日、原位置近くに現存しているこの道標は、往時の交通資料として注目すべき価値を有するものがある。