虫供養塔は、江戸時代全国的に行われた五穀豊穣を願って水田に発生した害虫を、村境の川や海まで送り出し、虫の霊を鎮め祭るという農民の素朴な祈りの行事のなかで建立されたものである。
『肥前聞書』に「毎年六月に虫供養風祭と申す事有之、其の入用高は相定り居候て、年貢の内より兼て取分被置候、其の節惣郡百姓中於屋宅酒食被下置候」とあり、県内においても虫供養が催されていたことが知られる。
塔は、方形基礎石上に建てられた高さ2.2メートル、長径0.56メートル、短径0.51メートル、厚さ0.3~0.36メートルの短冊形塔である。
碑面には次のように陰刻されている。
嵩 貞享二乙丑歳十一月十九日
謹奉讀大乗妙典壹萬部
為 五穀満田虫供養成就
碑表の下部に、深町村・北島村・扇町村など嘉瀬郷の村名と施主名が記されている。
貞享2年(1685)に各村々の祈願により建立されてものである。
当時の信仰風俗を知るうえで、県内唯一の虫供養塔として極めて貴重である。