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[建造物][地蔵・銅像・石塔][北川副校区]は3件登録されています。
建造物 地蔵・銅像・石塔 北川副校区
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福満寺内六地蔵群
福満寺境内の本堂左手寄りに、六地蔵の群が安置されている。天文(1532~1554)、天正(1573~1591)の頃の、同一支柱の六地蔵と違い、各々の地蔵をそれぞれ1体として、6体を石彫したもので、寛文年間(1661~1672)の作である。 奉納者は、「施主竹田権右ェ門尉政之夫妻」と明記されている。彫りあとは、まことに稚拙粗野であるが、石仏としては、その表情まさに慈悲の温顔をたくわえ、この地方江戸初期石彫の秀作と言えよう。
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古賀観音堂
【本尊】如意輪観音菩薩 今より150年余り前、佐賀藩政時代に藩主が家臣の武士に賜わったものを、古賀区の武家屋敷であった現在地に小堂宇を建立して安置したのが起源であると伝えられている。 佐賀城東南部に住む武士達は、この観音に帰依するもの多く、即ち心のよりどころを得て、仏徳を喜び、観音講を組織して維持運営に努めた。ところが大正末期の台風で、お堂が倒れたため、御本尊の観音菩薩像を、八田の大応寺に預け数年を経過したが、観音菩薩の熱心な信者の方の夢枕に立たれた観音様が三夜に亘り、元の古賀に帰りたいというおつげがあったということで、それではと地区では昭和6年10月頃より費用を拠出し堂宇を再建し、観音菩薩を大応寺より迎え安置して今日に到っている。今でも地区では宗教法人の組織により運営されていて、地区民の信仰も厚く地区外よりの参詣も多く、広く古賀のお観音さんとして知られている。
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三夜像
三夜とは、(1)三日月、(2)結婚して三日目の夜、(3)誕生して三日目の産養(うぶやしない)を表す意味がある。地域において三夜の行事をする謂れを考えてみると、(1)神様的存在である月の出を待って無病息災・家内安全・五穀豊穣などをお祈りする意味。 また、結婚三日目の夜をお祝いして親しい人や近所の方を家に呼んで酒宴する意味もある。 なお、子どもが生まれたことを祝って酒宴をすることも理解できる。 本当の意味はわからない。ある一説では、毎月23日に親しい人たちによって、月の出るのを待って酒宴を開き、月が出たところでお開きにするのが慣わしのようである。 でも、23日に月(三日月)が出るでしょうか。日にちを定めないで三日月の出るときにされておられたと思いますが、今日の三夜待ちは、日にちを変えるのが面倒だから23日に開かれているのではないだろうか。