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自然 樹木・花 金立校区
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道祖神松
道祖神社は金立町字金立(松原)の南金立川の西岸に(国民保険直営所の南より大野原方面に通ずる道路の南側に見ゆる)立つ姿美しき老松のことである。往時肥前を横断し筑前を横断し遠く中央政府のある京都奈良に通する道路の守り神として道路の諸々に祀られてある道祖神を祀った場所に植えられ(又は植え替えられた)松と思わる。 此処には道祖神を祀る祠があった筈と思われる。私の幼少の頃の思い出(此松の程近くに元は小学校があったので此処らにはよく遊んだし、又大正2年から4年間はこの母校に教鞭を取ったことがある)によると、この松樹の根元に1つの自然石が立っていて、この石に文字か絵見たいなものを書いてあったのがおぼろに浮んで来る。 当時までは史実史蹟方面に趣味を持っていて郷土史の研究も少しづつやってはいたが、この方面まで研究して心を留めていなかったことを残念に思われてならない。近年になってから古老に聴いて見ると其処にあった石は川の石橋建設の際川岸深く沈められた様だとのこと、それは何処の川岸かも勿論知らないと、残念なことをしたものだと思われてならない。 兎に角此地は往時の人々が道を守り道を司る道祖神を祀り崇めていたささやかながら1つの神域であったろうことには間違いなかろう。 一説に道祖神松に伝わる巷間の昔語りによると、昔この道路(車道)を通って旅する気品のある(或る家柄の正しい)兄妹があった。ところがこの兄妹がここらあたりにさしかかったとき(昔時はこの道路(車道)の通ずるあたりは松林などの続いた人里離れた淋しい所であった)青春の燃ゆる兄妹これも人の子で思春の悩みを持っていて、兄妹の垣根をこえてはならない事をわきまえ抑えに抑えて来たものであったのが、この淋しい人里離れのこの場が誘い出したのか、妹からその苦悩を訴え兄にこれを満足させて貰うよう迫った。兄は強くこれを戒めたが妹が又も強く熱情をこめて再度要求したので兄も人の子、思春の情高まりおさえる由もなく遂にその情熱のまにまに人倫の大道を破って終った。 ところがそのあと冷静にかえった2人は非常に悩み苦しみ。兄は妹にその誘惑を責め妹の死を決するを見て遂に妹の命を縮めて終い、その骸をこの道祖神のほとりにほうむった。その松に祈りを捧げると男子の陰部の病が治るといって昔はこの老松に七五三縄を張り、夜間人目をしのんで祈っていたとの話である。 このような話は真疑の程はわからないが、道祖神と男子の陰具とがこんがらがって妙な話や妙な事柄があることは世の中に幾らもあることで、愚考すると道祖神を道祖神と言うことから男子の陰具を「さや」と言っていたことから、何時の世か或るこじつけ、或は結付けに興味を持つ人のものしたものから始まったもので、水商売の人がさやを祀る妙な所に持っていったものではあるまいか。……兎に角時を改め研究の要があるものと思わる。
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源蔵松
伝説によれば、秦の徐福は孝霊天皇代、一族数百名をつれ渡来し、有明海の浮盃津に上陸し北行したが、到る処に蘆が茂り湿地が多く布を敷いて進み、今の千布まで進んだとき千反の布を使ったので、千布というようになったという。今千布の北外れに源蔵松と呼ぶ松が生えている。たびたびの災害で植え替えられ今は小さい松であるが、ここは徐福一行が案内役を探し求めたとき野良仕事をしていた百姓源蔵を発見したところといわれている。
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薬師の森
所在する大字薬師丸付近は、昔は江湖が深く入り込んでいて、帆をかけた船がここらまで自由に上下していた。あるとき船中に薬師如来を祀った薬師丸という船が、この森の東北にあたる「はぎや」と呼ばれるところで沈没してしまった。その後、この船の薬師如来を移して祀ったのが薬師の森と言い伝えられている。