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[物語・いわれ][物語・四方山話][兵庫校区]は2件登録されています。
物語・いわれ 物語・四方山話 兵庫校区
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古代の兵庫
兵庫町の南部、瓦町、下分、千住、牟田寄方面の堀岸から、カキ殻が掘り出され、また弥生式土器と認められる素ガメや、土器の破片も多数発掘されていることから、この地帯も案外早く人々が住みついていたことが想像される。千住付近から出土した素ガメ1個は兵庫小学校に、2個は千住経島寺に保管されていた。なお凹石や石包丁も出土したという。 兵庫の川西地区には、北の方から渕頭(東渕)、西渕、下渕の地区があり、東渕の隣地区に上渕(高木瀬町)がある。大昔、この地方はまだ有明海の入江で、その波が打ち寄せていた所であるから、渕と呼んでいたといい、北の方から渕頭、上渕、下渕、西渕などの名が付けられたという。当時の有明海は、現在の沿岸の様相と大変違って、らっぱ状に内側から次第に八の字形に広がっていたのではあるまいか。
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小太郎丸
東中野の北端に13戸程の小区域の小太郎という地区がある。昔、小太郎丸という郷士が館を構えていたと伝えられる。 江副宅を中心とする一画、9段歩ばかりの土地であるが、二重の濠に囲まれて地の利を得た要害とみえる。以前は土地が数段高く雑木林があったというが、濠を埋めるために開いてしまった。春日の玉林寺古文書に左記の寄進状があるが、東渕からこの地域は玉林寺の寺有田であったことや千葉介の所領であったことから、文書の小太郎丸はこの小太郎ではないかと考えられる。 鑰尼季高、田地寄進状 奉寄進 玉林寺 肥前国佐嘉郡巨勢之庄、小太郎丸名田地拾五町之事。 右者為天長地久御願円満、季高至後々将来所奉寄進 附状如件。 明徳二年(1391)正月十一日 鑰尼信濃守季高判 このほかに、千葉介が与えた玉林寺、寺有田安堵の書状に小太郎丸名が記されている。