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お地蔵さん(地蔵尊)
旧新村の地蔵尊の由来は定かではないが、元禄年間(1688〜1704)、中御門天皇の享保12年(1727年)に、この地の先住人達が佐賀の城下町に通じる道端に、家族の無病息災を願って、地蔵尊を建立し、祀ったのが起因と考えられる。 その後、明治12年に当地の住民の善意でお堂が建立され、明治25年2月に弘法太師像が合祀され、その時に天井絵馬が奉納された。 それ以来、佐賀、新四国13番札所として、春秋の彼岸には百数十人の善男善女のお遍路さんの巡礼があり誠に大盛況であった。 その後、お堂の痛みも激しく、天井絵馬も剥げ落ち老朽化したので、昭和42年5月に地区住民の善意により改築がなされた。平成9年3月、佐賀市都市計画道路建設の為、前場所より150m南の旧新村公民館跡地に移転新築され、前回の改築の時に天井絵馬は廃止されていたが、今回は明治の建立に習い、住民の善意の寄進により天井絵馬が復元された。 当地蔵尊は、由来記に述べられているとおり、藩政時代の昔から、村、内外をとわず一般の信者の参拝も多く何時も花や線香の絶えた事がなかった。夏祭り(ぎおん)は、旧暦の6月24日に町内の高等科の生徒(現中学1,2年)主催で権現さんと同じ要領で行われていた。 村内の婦人達や太子講の方々の善意でお遍路さんの御接待が行われていたが、現在は老人会や奉賛会の方々等の協賛で、お彼岸の日に本願院の和尚さんを迎え、家内安全と無病息災を祈願して盛大な法要が行われている。
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近江屋敷跡
桃山時代末期の刀匠である肥前忠吉は、龍造寺隆信の家臣橋本道弘の子として生まれ、その系譜は江戸時代に入り幕末に至るまで、いずれも名工の名を残し、数多くの名刀を世に出したことで知られている。 初代武蔵大掾(だいじょう)忠吉のほか、2代近江大掾藤原忠広、3代陸奥守忠吉、8代忠吉等が特に著名である。 忠吉一門は、長瀬町5−41(現在橋本正敏氏宅一帯であり、橋本家は忠吉の子孫である)に屋敷を構えていたが、そのあたり3カ所に石碑が立てられて屋敷跡が表示されている。 近江屋敷の名は2代近江大掾忠広の名からくるものであろう。初代忠吉の墓碑は伊勢町の真覚寺にあり、その他一門の墓碑は八戸1丁目の長安寺にある。