佐賀城濠

佐賀城濠

■所在地佐賀市(赤松)
■登録ID2504

佐賀城の外濠を1周すると、ほぼ4kmあった。江戸城(現皇居)の外濠の周囲は5.5kmであり、これに次ぐ大きな城濠であった。だが、昭和9年から14年にかけて、一番広かった東濠が全部埋められてしまった。埋立の理由は市政50周年記念事業として、その広場で鯱の門博覧会を開催するということであった。当時、北川副の枝吉樋門から八田江に排水するための人工河川が掘られていた。その泥土をどこに捨てるか苦慮しているところでもあったので、この案一挙両得と市議会の承認を得、トロッコが敷設され、学生まで動員して短期間で東濠を埋めてしまった。勿論、東濠を埋めることに猛反対する人も多かったが、時の権力には庶民は勝てなかった。埋立は終ったが、博覧会は時局柄ふさわしくないと政府当局からの指令もあって中止となった。埋立地は市民に頒けられることになり、佐賀市はその土地代で財政を潤わすことになった。当時の新聞には「埋立費は坪7円から10円程度、いま買っておけば、坪30円位にすぐなるので、買手続出が予想される」などの記事がのせられている。
現在の城濠の面積は、築城当時の面積からすると、すでに50%が埋立てられている。城内内部の内濠などの埋立などは学校敷地の拡張などで仕方ないとしても東濠を全部埋める選択をしたことは、「悔いを千載に残す」ことになった。
幸い北濠、南濠、西濠は昔の姿をとどめ、中心部は城内公園として、また官庁、学校、図書館、博物館などの風致地区として、佐賀の丸の内と呼ばれている。現在、佐賀市はゆたかな水辺をたたえる佐賀城公園建設をめざしているが、いくら立派な施設をつくっても、これ以上城濠を埋めるようなことがあれば、佐賀市の再生が危うくなることを歴史は教えているようだ。

出典:佐賀城下みて歩きP10