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■所在地佐賀市(日新) ■登録ID2582
寛延3年(1750)〜文化14年(1817) 江戸後期の儒学者で、佐賀城下精小路に住む。名は撲字は淳風、通称は弥助。陽明学を学び、のち江戸幕府の官学として保護された朱子学に転じた。天明2年(1782)、8代藩主藩島治茂により城下の松原小路にたてられた藩校「弘道館」の教授となり、弘道館の学則を制定した。寛政3年(1791)幕府の昌平黌の教官に抜てきされた。高松の柴野栗山、伊予の尾藤二州とともに寛政の三博士と呼ばれている。著に「四書集釈」「近思録集説」などがある。
出典:日新読本p.176