正現稲荷神社の由来

正現稲荷神社の由来

■所在地佐賀市金立町
■登録ID1774

 ○座禅石(正現嶽の森社の西側にあり)
 時あたかも戦国争乱の世、群雄割拠して勢力を争い、皇室の御衰微を顧みる者なきとき、京都の人勝務聖人という憂国の士、僧侶の身を以って尊王論を鼓吹し広く全国を行脚して、これが徹底に努めたが上人が肥前に来るや足をこの山に留め、大岩の上に一身を挺して懸命に目的達成の祈願をこめて座禅をくんで修行した。ところが地位ない身で自分の一心の叶はないのを歎いて七生報国を念じて身を有明海に投じて自決した。
 隅々佐賀36万石鍋島直茂公に御曹子がなく当社を始め各神社に御祈願中であったが、彼の上人の水定と共に鍋島勝茂公が御誕生になったので、嶽の森稲荷の申し子とて藩主の信仰厚くなり鍋島家では当神社を奥の院として、奉祀し下宮としてその出生地鍋島村新庄に将軍稲荷にを勧請して厚く祀ったとのこと。

出典:ふるさと金立p.12