犂耕 | さがの歴史・文化お宝帳

犂耕

所在地 佐賀市川副町
登録ID 2050

出典資料から記載

 いったん汲み上げた水を、なるべく長く田にとどめるためには、第一に田の耕盤を固く締めて漏水を防ぐことであった。これは犂を用いて行った。
 一般に馬耕は水のはいらない乾田(からた)を、犂で耕起・反撃せるのがごく一般的である。わが国で広く行われてきた馬耕、あるいは牛をふくめた畜力耕はすべてそうであった。ところが川副をふくめた佐賀平坦の馬耕は、もちろん乾田(からた)での耕耘を行うが、それに加えていまーつ重要な床締めの作業を行った。これを乾田馬耕と区別して水田馬耕とよぶのである。江戸時代から明治にかけて使用されたわが国の犂は、一部の例外を除いては犂床が50cm以上もある長床犂であるが、この床締めに使う犂はそれよりやや短めで40cm程度。中床犂といっていいであろう。床幅が他の犂床より広いのは耕盤との接面を考えてのことである。この作業をおろそかにすると、汲み上げた水は表にして堀に還流してしまう。そればかりでなく、時として田の畦もろとも堀の壁を崩してしまう。はげしい漏水はこの意味で何より注意しなければならない。そのためにもこの作業は周到な反復作業によって、完ぺきに行う必要があるのである。
以下明治から大正期にかけて行われた川副一帯の馬耕について述べておきたい。この地帯の馬耕は、3本の犂、1本の馬鍬を使いわけて行われる。3本の犂は「はえ犂」、「くれがえし犂」、「みずた犂」の3本である。「はえ犂」は「うーすき」ともいう。いずれにしても典型的な長床犂で、その長い床は50cmに及ぶ。面白いことにこの犂床はペタリと耕土に密着せず、操作する人間の側から見て、右肩が浮き左の端しか土に着かない。一見不安定なようだが、馴れると操作はきわめて楽で、熟練者は片手運転も可能という。ただ名前のように「はえ」ており、長くねそべったように長い。
 したがって方向転換のさい犂き残し部分がでるのと、転換が容易でない欠陥があった。また長床犂は当然のことながら深耕はできず浅耕であった。この犂は稲刈りあと直ちに「ひらすき」と称し1〜2寸幅で細かく耕土を切り裂いていく。まるで羊羹を切っていくようだという。垂粘土壌で、しかも稲刈り直後でかなり湿潤であるか、裏作に備えて耕起し乾燥するのを待ちながら、麦播種にそなえるねらいがあるのである。このあと砕土作業にかかる。道具は馬鍬と「くれ割り」である。先ず馬鍬を「タテ」「ヨコ」に入れ大きな土塊を砕く。この作業を「まがかき」という。若干の落ちこぼれがあるから、これは「くれ割り」(「土わり」ともいう)で叩いてつぶす。以上の作業はいわば「ひらすき」で畦が立っていない。裏作を行うには畦を立てなければならない。
 畦立ては犂を「くれがえし犂」にかえて行う。大きな反転板が耕土を大きく犂き返し畦をつくる。再び播種にそなえて「くれ割り」で畦面を細かく叩き砕土、均平化をはかる。そして播種する。しかし当時は横畦であったから、鍬で畦に対してヨコに浅い溝を切っていく。そして麦種を播きその上に堆肥をふって作業を終わるのである。
 春の馬耕は麦畦くずしからはじまる。「くれ返犂」を用いて麦刈りあとの麦畦を左右に犂いて崩す。ほぼ崩し平畦になったところで灌水する。もちろん踏車である。冬場に田は乾燥し耕土深く亀裂がはいっているから、この作業は雨を待って行う。雨で水溜まりができるくらいの状態でやらないと、いくら灌水しても水は亀裂をとおして流下してしまう。雨水と汲み水の両者で荒水をまかなうのである。そしてただちに床締めを行う。
出典:川副町誌P.489〜P.491

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