玉林寺 | さがの歴史・文化お宝帳

玉林寺

所在地 佐賀市大和町大字久池井3257(出羽)
年代 中世
登録ID 2115

出典資料から記載

 永徳2年又は弘和2年(1382)9月、鎰尼信濃守季高が建立し無着禅師の開山である。
  鎰尼季高寺地寄進状写
 建立
箱崎御領肥前国朽井村玉林寺敷地山内外田畠等之事
四至 限東朽井堺堀通 限南若宮御前馬場堀道 限西四万取川 限北那於山堺
 仍已後之證文如件   李高判   ※朽井=久池井 四万取川=市之江 那於山=名尾山
   永徳二年九月五日
 更に至徳3年(1386)正月18日付で鎮西探題今川了俊より季高寄付の田地を安堵する旨の文書が残っている。
 一、至徳三年=元中三年(1386)今川仲秋玉林寺に佐賀郡内の地を寄進
 一、明徳二年=元中八年(1391)鎰尼李高玉林寺に巨勢庄内の地寄進
 一、慶長二年(1597)     藩祖鍋島直茂玉林寺に寺地を寄進
 玉林寺は薬師如来を本尊とした曹洞宗である。山門には四面に十六羅漢の彫像があったが、今は山門もなくなり羅漢像は本堂に移されている。この像の作者は不明だが、3月の澄み渡った夜には読経の声を聞くという伝えがあって「経読み羅漢」ともいわれている。
 無着禅師は大隅(鹿児島県)の人で姓は藤原氏である。日州大慈寺無外禅師のもとで仏教の教えを受けている。曹洞宗の開祖道元和尚の第7世の法孫である。禅師は季高に頼まれて法座を開き寮を造って弟子達を養成した。惣座及び十僧ヶ原の地はその跡だという。晩年、寺の西方に羽黒権現の御堂を建て、北方の放生池畔(青年の家の所の池)に弁財天を祀った。
 北朝の後小松天皇より御綸旨(天皇の意をうけて出す文書)及び「玉林禅寺」の勅額を授けられ、以後紫衣の道場(高僧達の修験場)として曹洞宗の僧侶の任官、進級等の事を当寺で行うようになった。当時この寺が如何に権威の高い寺であったかが想像できる。
 しかし、残念ながら室町時代の中ごろ、兵火のため堂宇宝物皆灰になった。天文11年(1542)
後奈良天皇は御綸旨と「勅賜玉林禅寺」と「祈祷」の勅額を賜わり、これらの勧額は今もなお仏殿に掲げられている。
出典:大和町史P.189〜194

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