鬼丸聖堂跡 | さがの歴史・文化お宝帳

鬼丸聖堂跡

所在地 佐賀市鬼丸町
年代 近世
登録ID 2456

出典資料から記載

佐賀藩2代藩主光茂元禄4年(1691)佐賀二の丸に設立。元禄10年(1697)3代藩主綱茂二の丸聖堂を観頤荘内に移転する。当時佐賀藩の学問の中心であった。弘化3年(1846)10代藩主直正(閑叟)聖堂は弘道館に移される。広壮な観頤荘もいつとなく廃滅し何ひとつ名ごりをとどめていない。ただ広大な庭園は観頤荘の図によって当時をしのぶのみとなり、鬼丸聖堂は講堂「天縦殿」の額や孔子をはじめとする三聖像などが現在佐賀県立博物館に保存されている。
佐賀大学が文教にゆかり深い一角を占めているのはゆかしいことである。
【由来】
佐賀藩3代藩主鍋島綱茂は17違いの異母弟、多久5代邑主国家老多久茂文とともに学問好きの殿様として知られ部屋住みのころから経書にも通じ書画にも巧みであった。のちの5代将軍徳川綱吉の前で輪講を勤めたほどであった。多久茂文が貞享年中(1684〜1687)聖堂(後の多久聖廟)及び学校を建てようと志し、本藩の許可を願い出るとまず佐賀に建ててからということになり藩主光茂(2代)は世嗣綱茂の肝入りで元禄4年(1691)佐賀城内二の丸に小規模であったが孔子孟子ほか四君子の像を祀って聖堂を設け諸人の礼拝を許した。
【注】
経書 儒教で聖人賢人の言行や教えを書いた根本経典四書五経
儒教 孔子を祖とし仁義道徳を説き、身を修め家をととのえ天下を治めることを目的にした政治道徳の教え。中国歴代の正統思想として重んぜられ、わが国にも古くから伝来して大きな影響を与えた。
出典:あゝ佐賀城その歴史と周辺P63

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