水ヶ江町の由来と変遷 | さがの歴史・文化お宝帳

水ヶ江町の由来と変遷

所在地 赤松
登録ID 2503

出典資料から記載

「水ヶ江」は「水が家」の意味で、「龍は水を以って家となす」の古事から、龍造寺氏の龍と水を結びつけてつくられた地名である。現在の中の館町から水ヶ江五丁目付近のクリーク地帯に水ヶ江城があった。江戸期は佐賀城の東堀近くに大身の武家屋敷が多く、南の鷹匠小路、独行小路、虎次竪小路などは、もともと水ヶ江龍造寺氏の本拠のあったところである。したがって水ヶ江という場合は南十間端以南を指すのが元の姿である。
水ヶ江の変遷をみると、明治11年の戸口帳に水ヶ江組とみえ、その下に水ヶ江小路(戸数242、人口1,062)、片田江小路(戸数334、人口1,482)となっていたが、同14年、この二つが合併、水ヶ江町と改称された。
裏十間川は町人町と武家町の境となっていて、この川にかかる橋が西側の七小路の武家屋敷に入るとき、必ず鍵型に曲がっている。これは防衛上につくられている。中ほどにかかる横目(じろり)橋は、職業の違いでお互に対立意識をもって横目でじろりとにらんで通ったとかいわれている。
川に面する材木町筋は恵比須信仰が盛んで、立派な御堂をつくっている。毎年5月10日、9月10日はお籠り、7月10日は祗園で地区民がみんな集って酒宴を開いている。古い料亭杉谷もこの近くにあった。また、川端に「あかかべ」を商標とした醸造場の中島酒造の立派な酒蔵もみられたが、いまは建物の影で昔の面影はない。
近年、この川筋は現代風に整備され、並木や歩道までつけられ、釣人が糸を垂れるほどの風情をとりもどしている。
出典:佐賀城下みて歩きP8

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