種痘の先駆者、大石良英の墓地と記念碑 | さがの歴史・文化お宝帳

種痘の先駆者、大石良英の墓地と記念碑

所在地 佐賀市呉服元町6-5 (願正寺)
年代 近世
登録ID 2534

出典資料から記載

佐賀城本丸歴史館に掲げられるひときわ大きい絵図がある。「直正公嗣子淳一郎君種痘之図」である。佐賀藩主・鍋島直正公が、長男の淳一郎君(のちの直大公)の種痘に立ち会っておられる。
当時、天然痘が猛威をふるい、多くの人が亡くなった。このころ輸入された、唯一の予防法である種痘は牛の痘苗を接種するのであるが、それを嫌がる人が多かった。そこでお殿様みずからが、嫡子に種痘させ、江戸在住の息女、貢姫にも接種された。これが成功したことにより種痘は全国的に普及し、多くの人命が救われることになった。それは我が国の予防医学の先駆けともなったのである。
この種痘之図は全国的に有名であるが、この図で種痘をしている医師が大石良英である。
良英は佐賀県立病院好生館設立当初から教導方として医療の指導にあたるなど、蘭学医として大きい功績を残した。
願正寺には大石家一族の墓地がある。平成18年、県内の医療関係者を中心に墓地整備と、顕彰碑設立が思い立たれ、顕彰碑は参道に設置された。顕彰碑には日展審査員,成冨宏氏による「種痘之図」のブロンズのレリーフがきざまれている。
出典:「佐賀の蘭学者たち」鍵山栄著ほか

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