長崎奉行宿泊所、「御茶屋」(願正寺)から「本陣」(呉服町野口恵助宅)へ | さがの歴史・文化お宝帳

長崎奉行宿泊所、「御茶屋」(願正寺)から「本陣」(呉服町野口恵助宅)へ

所在地 佐賀市呉服元町6-5 (願正寺)・呉服元町7-33(本陣跡地)
年代 近世
登録ID 2565

出典資料から記載

徳川幕府は享保2年(1717)、長崎に奉行所を作り、江戸から毎年一人、長崎奉行を派遣し外国船の貿易を監督させた。長崎奉行が佐賀を通過する折、佐賀藩大名は領内の支藩大名もふくめ、宿泊所である「お茶屋」に出向いて、あいさつするのがならわしであった。佐賀ではその宿泊所に願正寺が充てられていた。藩主の休憩所が臨時に充てられていたようで、現在の書院が使用されていたと思われる。また、そのほかの階級の宿泊するところは、本庄、長瀬、呉服に、2、3軒、はたご屋としてあった。
当時、大名などが宿泊するところを、東海道など五街道では[本陣」といい、町人の経営する民営であったが、長崎街道など西日本の地域では大名宿は「御茶屋」といい、藩の経営であった。
寛政末年になると長崎奉行が佐賀城下に宿泊する頻度が増えてきたため、当城下にも本格的に宿泊所の「本陣」を設ける必要が生じてきた。そこで,寛政12年(1800)3月から、呉服町の御用商人・野口恵助が私邸をすべて提供した個所を「本陣」として使用、その後、諸施設を整備し拡張した。今の呉服町錦通りエスティマンションがその跡地で、外塀の角に説明板が付けられている。
本陣ができてからは願正寺、称念寺は脇本陣として使用された。
出典:近藤典二代論文ほか

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