白鬚神社

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■所在地佐賀市久保泉町大字川久保3466
■登録ID2918

 近江(滋賀県)吹下より勧請されたと伝える白鬚大明神を祀る『白鬚神社』の祭神や勧請年代、十九丸の供奉集団や奉納される田楽の性格考証は「佐賀民俗学」第四号を御覧いただくとして、我が国古代の神信仰と白鬚社の特色について觸れてみたい。
 在天の神の降臨道筋に神体山がある。古式の社には、必ず神体山がある。白鬚社の神体山は、社の裏の鈴隈山(昔は清隈と書いた)である。
 我々は社に詣るとき、必ず口をゆすぎ手を洗う。昔は境内に入る前に、体ごと清流に身を浸し、罪や汚れを洗い流して初めて境内に入った。
 祭典に従事する人は一定期間、堂に籠り、斎戒沐浴し寝食・行動の精進をした。この禊ぎの場を持った籠り堂が中宮で、現在の白鬚社のある所。上宮は社の東台地上に。下宮は県道鳥栖川久保線沿いの石の鳥居の南側一帯であった。この鳥居からが参道で、田楽もここから「道行き」をしていた。〔神上は、上宮(かみや)辺が本当である〕
祭神は、応神天皇・神功皇后・武内宿禰の三柱説と、豊受比売命・猿田彦神・武内宿禰の説、新羅神説とがある。
 勧請年代も、肥陽古跡記は金立権現鎮座の時(紀元前210年)、佐賀県神社誌要は継体天皇18年(527)、敏達天皇3年(574)は祭典記録、推古天皇34年(626)は花納丸文書、三代実録では貞観12年(870)とそれぞれ異なっている。
 昭和49年に1400年祭が行なわれたのは、敏達天皇3年説による。
 十九丸の地名や丸祭の形態からすれば、花納丸文書が重視される。祭祀集団であったか・貴族豪族集団・逃避難民集団・農耕技能集団・或いは渡来外来集団であったか、論議されている。
 白鬚の鬚はあごひげ、村徳永の白髯はほおひげ、髭はくちひげ。
 現社殿の「流れ造り」は、記録が無いので建造年は不明。
 社前の三の鳥居は、木造の「両部鳥居」で、木柱の前後に控え柱が設けられ、本柱と控え柱の間には貫を通し補強された古式の鳥居で、神仏混淆の神社に多い。また、四脚鳥居ともいう。「丸持の家」の祠の祭神には、薬師・不動・観音・地蔵・天神・弁財天・本地阿弥陀が祀られたと寛文11年(1671)の記録が在り、神仏混淆の社であることが窺われる。

出典:久保泉町史跡等ガイドブックp.96〜97

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