八坂神社

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■所在地佐賀市柳町1-16
■登録ID472

 柳町(現千代町)の元古賀銀行の南前に石造の鳥居が目につく、ここが八坂神社である。八坂神社は、祇園社ともいってスサノオノミコトを祀ってある。
 ここは、大旱魃になると、金立神社に雨乞いして、お籠もりのうえ御神体を御輿に移して、有明海の沖の島まで行くことになっているが、これは『お島さん参り』といって、有明海のど真中に暗礁があり、潮が引くと表を現す、要するに沖の島信仰は雨乞いを主体とした水の神の信仰で江戸時代からの古い伝説が今日まで伝わっている。
 50年に1度か大旱魃のときにこの『お島さん参り』が行われるが、前回は大正14年に行われた。このとき八坂神社と材木町の日天社で休息されることになっているが、日天社で休息されることは、鳥犀円の薬と金立山の『不老長寿の薬草』との関係があるのではないかと言われている。昔はこの神社でも盛大にお祭りがなされていたが、大変残念ながら今日ではとだえてこの祭りを見ることができない。
 祇園祭りの起源は、平安遷都後まもなく毎年のように、夏に流行する疫病を御霊のたたりと考え、その退散を祈った御霊会にある。それには、牛頭天王(ごずてんのう、インドの祇園精会の守護神で疫病の神)を祀る祇園社がよいというので、祇園御霊会が行われた。御輿に、祭鉾(飾りのある長い布)や田楽、猿楽、それに風流(作り屋台)がつきしたがいました。時とともに、祇園祭りは厄払いから余興本位に転化し、鉾や台を飾り、車を付け、御輿渡し変じて山鉾巡行となった。明冶になって、神仏分離から祇園社は、八坂神社と改称され、祭礼日も6月7日〜14日が、新暦の7月17日〜24日に改められ今日に至っている。 (京都府の歴史)より
 八坂神社の境内の石柵には、当時柳町や蓮池町など商店主・会社・銀行などの代表者の名前が刻んであり多くの人々の寄進や崇敬を集めていた様子が偲ばれる。 この神社の南、裏十間川に架かる橋を『成就院橋』と呼んでいるが、この橋の西北に『成就院』があったという。明治維新前に成就院という盲僧屋敷があって一かどの修行場だったが、維新のとき衰滅し、祭神の祠だけが神仏混淆の形として残こったので町の人達が修復して祭りを続けている。

出典:ふるさと循誘(P.70)

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