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[神社仏閣][神社][若楠校区]は2件登録されています。
神社仏閣 神社 若楠校区
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若宮八幡神社
―校区内では、一番大きな神社― 若宮神社由来記として、神社境内の案内板には、次のように表示されている。 若宮神社は慶長16年(1611)高木八幡社より分社されております。(八幡社無格神社御由調査書) 八幡社のご神体は、応神天皇が主神で、母の神功皇后(祖母)と仁徳天皇(孫)となっています。孫である仁徳天皇をご祭神としています八幡社の御子を祀る宮、すなわち『若宮社』と言われる由縁であります。 鳥居については、右柱には『千時天明五歳九月吉日、大日本鎮西肥前州佐賀郡高木新村、若宮社一宇○奉献立石○○眞心』とあり、左柱には『安○○○之大明神武○長久民安楽為五穀成就如意満足』と刻られています。 天明5歳「年」(1785)それまでの若宮社は、現在地で鳥居もなく、多分茅葺屋根で、ご神体が吹きさらしの状態ではなかったかと推定されます。 神殿の建設は明治25年(1892)大建築され、本格的な絵馬堂付の堂々たる社殿の完成を見たのです。お宮勧誘から鳥居完成まで170年、ご神殿完成まで107年、私達のご先祖は『天下泰平、無病息災』を願い、300年に渡って、高木新村と言う新しい開拓の地区に住み、貧しく少ない人々の微々たる浄財を集め、長い間建設資金を積み立てて来られたのでしょう。その間に、祭田まで開墾して、お祭りの費用に当てられたものと推定されます。先祖の気持ちが今日まで伝えられてきました。 新しい参道に小さな石祠があります(梨本天神)。これは元陸軍第55連隊の練兵場が出来た時、移転したもので、これには、享保4年(1719)とあります。鳥居より66年も古く、この宮も八幡社の末社として、高木新村天満宮として挙げられています。天満宮は“菅原道真”を祀りしていますが、雷神でもあります。 また、同じ参道に『猿田彦大明神』の碑が建立されていますが、日本神話『天孫降臨』の中で、天照大神の命を受けて、高千穂の峰に天降(あまくだり)りしたさいの先頭に立って道案内をした神様で『道の神様』として今でも人々の厚い信仰を受けています。「猿田彦大神」の碑は全国各地で見受けられます。 平成13年10月吉日 平成13年の若宮八幡神社の建替えとご神体の解明については、永渕博見氏の手記「若宮神社創立のあらまし」から記載している(抜粋) 平成13年本殿が、地区民の努力で立替えが行われ、木造の新しい本殿が出来上がった。 その立替作業中に、旧神殿深く安置されていたご神体の解明作業が行われ、ご神体は粗面の白っぽい 花崗岩で“縦100cm・横50cm・重さ300kg”の自然石に文字を刻んでいるのが判りました。 中央に大文字で『奉勧請若宮大明神』とあります。左側には『當村 堤弥右衛門尉・谷口十左衛門尉』とあり、これはご神体を拓本して専門家に読んでもらいました。 以前、高木瀬町史が編集されるとき、『ご神体』を詳しく調査されずにおりましたので、若宮神社の起源は不明とされていました。
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高木八幡下の宮
日の出1丁目3番に「高木八幡下の宮」観音堂がある。 ここには「天照大神宮」と「観音像」が祀られており、「天照大神宮」の右側に「八幡大菩薩」、左側に「春日大明神」と刻まれており、これには両方とも「寛政十年正月吉日・施主村中」(1798)の文字が見える。 この社は、高木瀬村社であった「高木八幡神社の下の宮」と言われていることから、江戸時代末期以前すでにこの地域が誕生していることがわかる。 この堂の改築は村内の有志によって昭和29年頃から積み立てが始められ、昭和39年頃に竣工している。 これには八丁畷地区は勿論、東高木からも多くの基金が寄せられている。 現在近くの居住者で毎年11月末の日曜日に、地区の助成を受けて祭りが行われている。