検索結果 RESULT
[指定文化財][絵画][本庄校区]は2件登録されています。
指定文化財 絵画 本庄校区
-
釈迦・迦葉・阿難図 狩野探幽筆 三幅
重要文化財
本図は、江戸時代初期の代表的な画家で、幕府の御用絵師をつとめた狩野探幽(かのうたんゆう)(1602~1674)が佐賀藩初代藩主鍋島勝茂(1580~1657)の注文により、鍋島家の菩提寺である曹洞宗の恵日山高伝寺のために描いたものである。 中幅に合掌する立像の釈迦(しゃか)、左右幅は坐像で、向かって右に釈迦十大弟子の迦葉(かよう)、左に同じく十大弟子の阿難(あなん)を配す。迦葉は両手で経巻を持つ老人の姿で、阿難は鉢を持つ青年の姿である。阿難の若々しい表情が印象的である。 絵画で釈迦・迦葉・阿難を組み合わせて三幅とする作例は珍しい。描法にも創意が見られ、中幅と左右幅とは描きわけられており、中幅の釈迦図は肉見部に金泥を用い、衣文線には淡墨と淡朱が併用されているのに対し、左右幅は墨画である。 さらに、探幽としては長文の款記に「肥前の太守の命によって」高伝寺のために描いたことが記されている。「御寄付物帳」(1855年、鍋島文庫蔵本ほか)により、勝茂が高伝寺に納めたことが知られるため、本図の注文主が勝茂であることがわかる。 なお、制作時期は、画風、落款(らっかん)などから明暦年間(1655~57)ごろに想定できる。探幽50歳代半ばころの創意、描写力ともに充実した時期の優れた作品であり、保存状態も良好である。また、探幽と勝茂の関係を示す貴重な作品である。
-
大涅槃像 一幅
重要文化財
高伝寺は佐賀藩主鍋島家の菩提寺である。涅槃像は、紙本彩色で縦8間(14.4メートル)、横3間半(6.3メートル)もある巨大な画幅である。涅槃図は釈迦が入滅する場面を絵画化したもので涅槃会の際に寺院の本堂に掲げられる。高伝寺においては、4月19日を中心とした釈迦堂開扉に公開されている。 『葉隠聞書』に、佐賀藩3代藩主鍋島綱茂が、京都在住の経師(表具師)若井利左衛門の協力を得て、京都東福寺にある兆殿司筆のものを摸写させたものと記述されている。作者は不明である。箱の蓋の裏には「宝永三年(1706)十月二十一日京都室町通松原上ル高ノ辻町経師若井利左衛門利久」と書かれた紙がはられている。おそらく涅槃像が完成した日付であろう。 また、画幅の裏面に「天保十三年(1842)十一月再興」と書かれているものは、修復した日付だと思われる。 この大涅槃像は、市内における代表的なもののひとつとしてその価値が高い。