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[建造物][碑][富士町]は3件登録されています。
建造物 碑 富士町
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郭沫若先生紀念碑
この紀念碑は富士町大字小副川の雄渕・雌渕の景勝の地に昭和57年10月9日落成した。碑銘は「郭沫若先生紀念碑 廖承志題」 中日友好協会会長 廖承志先生による書であるが、廖承志先生はかつて早稲田大学に学んだ人である。 〔正面碑文〕 夕日が川上川の川面に照っていた。澄んだ清々しい流れがきらきらと輝く白い石の間から歓呼の声を上げて、湧き立っていた。 青翠の寒林まっかなまんじゅしゃげ、黄金色の柿のある両岸の高い山も、一進一退して人に向かってうなずき微笑しているように思われるのだった。(後略)
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中原公園と弁財天・頌徳碑
公園の一角に弁財天が祀られている。弁財天は、以前は麻那古峠にあったが、昭和3年上滝空蝉氏の頌徳碑が建設されるに至って公園が整備され、そのおり弁財天の両堂を新たにして建立したものである。建設業者は頌徳碑を建てた博多の沢田石材店で、すべて北山産の花崗岩をもって造られている。詞堂の扉には紋らしきものが刻まれているがはっきりしない。 弁財天は弁才天とも書くが、音楽の神また巧みな弁舌と知恵を司る女神でもある。本来は水の神なので豊作を祈願して祀られているものである。祭りは5月3日憲法記念日の祝日に行われる。
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上滝空蝉の頌徳碑
公園中央に建立された上滝空蝉の頌徳碑は博多の沢田石材店の築造で、碑石は筑前糸島郡野北産(志摩町)で台座石等は北山産の花崗岩。高さは1丈8尺の堂々たるものである(碑文は旧唐津藩主小笠原長生)。氏は山内郷の発展に尽力された方である。大野区長(北山地区)南山村長の後、幕末において最後の代官といわれた富岡敬明(当時熊本県令)の知遇を得、招かれて熊本県庁に奉職、さらに天草郡役所の郡吏となり、退官後は福連木村(現天草町)の村長(明治32年5月〜明治43年5月)(60歳〜72歳)と3期12年にわたって活躍され功績を残されている。昭和になって遺徳を偲んで頌徳碑が建設された。 氏を熊本県に招いた富岡敬明は、小城藩士で山内郷の目付(後に代官1859〜1864)となった人で最後の代官といわれた。