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[民俗・芸能][祭り][循誘校区]は2件登録されています。
民俗・芸能 祭り 循誘校区
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牛島町の二十三夜尊まつり
現在牛島町にある二十三夜尊は、構口東の江見線と旧34号線の分岐点で、副島自転車店のところに祀っていたが、道路を作るとき邪魔になるので何処かに移転しなくてはとの話が出て、いろいろ協議の結果牛島町がその候補地に挙げられることになった。牛島町の町民が協議を重ねていたところ、当時町内(思案橋のところ)で酒造業をしていた人で後に貴族院議員になったり、また佐賀馬鉄(馬車鉄道)の誘致で活躍されたり、循誘小学校の前身で柳町校舎といわれたときの学校敷地を寄付されたりした、下村辰右衛門さんが『二十三夜尊を祀った町には火災が起こらない』との話をされたので、これを契機として移転の話が決まった。移転先は、今の構口西堤防の松林を切り開いてそこに祀ることになった。そのとき、祠の石造りに安置することになり、下村さんが寄付されて明治26年7月23日に移転落成した。爾来、初代自治会長森喜太郎、2代目角町、3代目小宮、4代目吉村、5代目馬場卯一、6代目香月と二十三夜尊まつりを受け継いできた。まつりの様子は、町内に舞台を作り、花火を打ち上げ、景品の抽選会や金魚すくいなど夜は10時頃まで大変賑わった。また、午前10時には僧侶を迎えて、お祀りしていた。お蔭様でこれまで牛島町には一度も火災が発生せず大変感謝している。
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横目橋そばのエビス祭り
横目(ジロリ)橋のたもとに、元禄3年(1690)の造立になるという、佐賀市内最古の双体エビス像が銅ぶきのお堂に祀られている。ふつう夫婦エビスといわれ、ひとつの石に2体ほられているのは珍しいということである。 いつか班長さんからエビスの氏子として、お祭りの当番が廻ってくることを知らされた。そしてその1回目が意外にはやくやってきたのである。当番は1年間でお祭りは夏冬2回、夏祭りは神事のあとで御供物の餅、お菓子などを氏子に配る。冬はツウ渡しといって神事の後ごちそうを作り、次の当番の人をお招きしツウを渡す。お祭りの日は、現在では1月20日前後の都合のよい時にしているが、昔は平日でも決まった日に行なわれていた。氏子は減少し、40年前は24軒であったが現在は16軒である。お祭りには1軒より500円の抜銭をする。昭和40年代には100円であったが次第に高くなり、58年から現在まで500円の徴収である。物価の値上がりでこれだけではまかなえないが氏子や有志の方のご芳志もあって500円にすえ置きである。前日に掃除草とりをしお供えの買物をして準備をする。米1キロ紅白の餅、塩魚、野菜、酒(アカカベより献上)菓子などである。当日は天満宮の宮司さんに神事をお願いしている。昔はツウ渡しのごちそうも手づくりであったが、今は折詰をとり自分たちではお吸物をつくるぐらいであるが、食事を一緒にすれば親しくなり、固い絆ができるようで、この街に住んでよかったとしみじみ思える。昔は、横目のエビス祭りといえば大じかけに舞台がかかり、鳴り物入りで賑わっていたと云う。昔から、この川におぼれる人も無く事故ひとつ無いことを聞けば、商売繁盛のみでなくエビスのご加護とも、素直に思える。年々風化し摩滅して、顔の表情もみえないエビスの前に立つ時、時の流れを感じる。お堂は、大正15年6月の改築で西の宮改築寄附者人名塔には30円から3円の氏子の名がしるされているが、人名は薄れてはっきりしない。もう一つその横に四角い人名塔がある。これは改築前のはじめの建立者のものと思われるがはっきりしない。