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白鬚神社
祭神 武内宿禰 嘉瀬川ダム建設に伴い、富士町大字畑瀬に鎮座されていた畑瀬神社を宗教法人化して白鬚神社に変更し、富士町大字小副川に移転新築。 平成15年1月宗教法人白鬚神社設立。平成15年7月白鬚神社竣工。 敷地面積234坪。建物8.84坪。氏子 10戸。 天神様 荒神様 七郎神 九郎大明神。
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平重盛と経の島
大化の改新後、大宝律令が制定され、公地公民の基本的政策のもとに政治が一新された。 しかし、貴族や官職の位階、大小の社寺、朝廷に対する功労などにより応分の私的所有田が与えられた。いわゆる荘園である。これは班田制の崩れるもととなり、武士の起こりの要因ともなった。やがて中央集権制度の弱体化に伴い、地方は争乱のちまたとなり、政権は貴族から武士に移り、封建時代が始まった。 12世紀頃西国の武士団は平氏の権力に属し、平正盛、忠盛らは山陽、南海、西海に勢力を伸ばしていた。『長秋記』によれば、忠盛は長承2年(1133)、肥前国神埼荘で宋船と貿易を行なっており、杵島郷は大功田として平清盛に与えられ、鹿瀬荘は教盛の所領で、わが兵庫の地域に平重盛の領地があった。 重盛は父清盛の罪障消滅を祈って、高倉天皇の治承3年(1179)、領地の千住に経島寺を建立した。みずから金泥をもって紺紙に法華経を浄写し、これを石棺に納めて霊域を選び、ここに埋め周囲を掘り上げて島を造った。 今も経島寺の門前に5アール余りの濠にめぐらされた小島が現存する。これを経の島と呼んでいる。