ピックアップアーカイブ pickup
-
木造薬師如来立像 一躯
重要文化財
中原薬師堂の薬師如来像は、像高161.3センチメートルで樟材の一木造りで、彫眼、漆箔で朱色の衣をまとい肉身は金色に彩色されている。右手を胸前にあげ、左手を垂下して薬壼を持つ。頭・体根幹部を両肩先から袖、足枘まで含み一材から彫りだしている。 彫りが深く、きびしい顔立ちは古様を重んじる伝統を感じさせ、天台宗の山岳仏教が盛んであった脊振山系の特徴を、よく表した立派な仏像である。等身大の仏像を1つの木材からほぼ丸彫りでつくり、部分的に内刳りを施している。衣文の彫出は浅く、体躯は扁平につくられ頬が張り、口唇と顎を強調した顔つきは個性的である。 薬師如来像の周りには、十二神将の朔像が並んで薬師如来像を護っている。この朔像の制作年代は不明であるが、薬師如来が祀られると同時に造られお護りをしてきたものと考えられる。薬師如来の手にある薬壺で、体の悪いところを撫でると良くなるという言い伝えもあって、遠くからお詣りする人が少なくない。 薬師如来像は、個性的な作風がみられ、脊振山系の仏教美術を考察する上で重要な作品である。
-
木造鍋島忠直坐像 一躯
重要文化財
鍋島家の菩提寺である高伝寺の本堂に安置されている鍋島忠直像は、冠まで含めての像高50センチメートルの衣冠姿の坐像で、玉眼嵌入、首及び両手首差込み、彩色が施された木像である。腰に刀を差し、左手は膝の上に軽くのばし、右手はわずかばかり指を屈して笏を操る態をなすが、笏は現存していない。 両眼を開き、口を結んだ顔容は静的で、左右へ大きくひるがえる両袖口は、沓をはいた両足を軽く組んだ安坐姿と相まって、安定感を与えている。この像は、袖の部分にいくつかの襞を表わしたのみの極めて簡潔に表現された肖像彫刻である。 鍋島忠直は、佐賀2代藩主光茂の父で、寛永12年(1635)わずか23才で早世した。側近に仕えていた江副金兵衛は、忠直の死後姿をくらまし、高野山にこもって一心に主君忠直の像を彫った。忠直の一周忌が催されているときこの像を持ち帰って、光茂に奉り、追腹を切った。 この江副金兵衛の殉死に直面した藩主光茂は、深く考えるところがあり、ついに寛文元年(1661)に追腹禁止令を領内に発布した。佐賀藩における追腹禁止令は、寛文3年(1663)に幕府が発布した殉死禁止令の先駆をなすものとして注目される。 江副金兵衛作の鍋島忠直像は、単なる肖像としてよりも、わが国における殉死禁止の要因をなすものとして、その歴史的価値が極めて高く評価されるものである。