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惣よん橋
この橋は若宮にある。龍造寺時代ここに居住していた豪傑西村惣衛門(左衛門)が架けた橋と伝えられる。 神代家記により西村惣衛門の勇猛ぶりをみると、次の通りである。永禄4年(1561)9月、龍造寺隆信は神代勝利のもとに使をやり、こんどは川上あたりで出会い、直々に槍を合せて一度に決着をつけようではないかと申し込んだ。勝利もこれに応じ、13日を期して決戦することになった。 隆信は1万余騎を従え、勝利は7千余騎を率いて熊川城を出て川上川をはさんで都渡城方面に勝利の二男周利、八戸下野などが出陣し、龍造寺方よりは隆信の弟、左馬頭周光、小川大炊助が対陣した。 淀姫神社辺には神代勝利、その子惟利が控え、龍造寺方も隆信自ら納富信景、福地信重などを率いて出陣した。戦いは川東より始まり激戦数刻の後、神代周利は戦死し、八戸下野などは重傷を負うて敗走した。 川西の神代勢もこれを見て勢をそがれて遂に退却を始め、追われた勝利は八反原で捕えられる寸前、辛じて虎口を脱した。神代方は大敗したが、この戦で神代方の陣中にあって勇名をとどろかしたのが、西村惣衛門である。 彼は川上川の西岸の一段高い所にあって攻め寄せる敵を弓矢で射かけ、射すくめ防戦したが矢種が尽きたので、大刀を振りかざし龍造寺軍に斬り込み散々暴れまわった。敵十数人を討ち取ったが、その身も深手を負い付近の民家に身をひそめ、ようやく死を免れて居村若宮にたどりついた。
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日枝神社の楠 一株
天然記念物
楠は、クスノキ科の常緑高木で、暖地に自生し、わが国の植物中最大に成長するものであって、材質は硬くて木目が美しく、独特の香気があって諸種の器材として賞用され、また樟脳を製する原料に用いられている。 『肥前国風土記』の佐嘉郡の条に、「むかし、樟樹一株この村にはゆ。幹枝秀でて高く茎葉繁茂し、朝日の影は杵島郡蒲川山をおおい、暮日の影は養父郡草横山をおおう。日本武尊が巡幸の時、樟が茂り栄えているのを御覧になって、此の国を栄国というべしとおおせられた。そこで栄郡といい、後に改めて佐嘉郡と号した。」とあって佐嘉郡の地名のおこりを伝えている。この風土記の記事によっても、佐賀地方には古くから楠の巨木が栄えていたことを知ることができるとともに、佐賀県の代表的な植物でもあるので、県の木として、また、県の花として親しまれている。 木原1丁目日枝神社の境内に一株の楠の巨木がある。高さ24メートル、幹回り6メートル、枝張り23メートル、樹齢およそ700年といわれ、幹には、ノキシノブやコケが着生し、枝は四方に広がり主幹には諸処にコブ状の隆起がみられ樹盛も旺盛で樹齢の古さを物語っている。