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石井龍右衛門
文政8年(1825)〜明治15年(1882) 国学者として名をなした。名は鉄、通称龍右衛門・松堂と号した。北島武兵衛の次男に生まれ、のち石井家の養子となった。 弘道館及び夏秋富雄に学び、弘道館指南となったが、病気のために辞してのち佐賀駄賃小路(現在の伊勢町)に家塾純粋社を開いて子弟を教えた。日本外史・大日本史を講じて、愛国思想を鼓吹した。朱子新註を説いた夏秋富雄の学説をついで、彼の国典経史を基礎とした枝吉神陽学派と相応じ、古賀精里学派の旧朱子学に対立して重きをなした。 豪放活達で幕末新進の青壮年に尊敬された。副島種臣と親交があり、江藤新平、石井竹之助、山田平蔵らはその門下生であった。 佐賀市伊勢町に純粋社の記念碑が建っている。著書に「純粋社詩文鈔」がある。
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大願寺二本松遺跡出土 一括(八花鏡一面、青銅製鉈尾)
重要文化財
大願寺二本松遺跡は県史跡大願寺廃寺の約1キロメートル西に位置する縄文・古墳・奈良・平安時代の集落跡である。特に奈良・平安時代の建物群は計画的な配置がみられ、官衙関連の遺跡と考えられる。これを裏付ける遺物として帯金具、鏡、越州窯系青磁、東海系須恵器、木製鞍と多くの墨書土器が出土している。このうち帯金具は青銅製の鉈尾で、残存長6センチメートル、幅3.8センチメートルを測る。鏡は八花鏡の約1/8の破片で、銅質は大変良い優品で復元すると約18センチメートルとなる。