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開拓紀念碑
(碑文要点) ○ 旧主家(坊所鍋島家)の困窮を憂いて旧家臣や有志が募金計画(事務長に南里忠次、各地の代表を委員とする)し、旧藩公より金員の拝借をして、若干の町歩の田地を購入する願書を作成した。 ○ 佐賀の家扶、中野致明にもとおして、代表が上京、東京鍋島家の家令・深川亮蔵に提出したが却下された ○ 特例として、蓮堀を拝借して堀を埋め開拓埋築の恩命があった ○ 代表が帰郷後、早速、開拓埋築工事に着手して、3年後の明治29年に田地3町5反余を得た ○ 負債の弁償、屋敷の修繕など、また、工事の苦労をたたえるために紀念碑を建てた (参考) ○ 坊所鍋島家は国家老で鍋島生三からはじまる ○ 旧領地は三根郡に坊所村ほか5か村、神埼郡9か村、佐賀郡3か村となる。地米高は嘉永7年(1854)2020石余 ※『佐賀城とともに 赤松の歴史と文化』によれば「建碑発企者は正司碩譲、中牟田松次郎で、募金協力者104名の氏名が残されている」としている。
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藤瀬神社
祭神 中筒男命 底筒男命 表筒男命 猿田彦命 源義経 高産霊命 保食神 古老の口碑に云う、筑前の国宗像郡宮辺津宮ほか1社をうつす。鎮座年記不詳といえども平氏族滅の時といい、あるいは鍋島初祖代という、両伝いずれが是であるか分からない。