ピックアップアーカイブ pickup
-
三界萬霊の石塔
この石塔は、西氏方の北西角・市道(三叉路交差点)との境界線上に、道路側を向いて建立されている。 西氏の説明によれば、「私が、嫁に来たときには、既にこの石像はこの位置にあり、父母が熱心に祀られていた。昔から、道路側を向いて立てられており、曽祖父の時代(恐らく明治時代以降と思われる)は、石塔の前の道路上に、筵を敷いて近所の子ども達を招いて、煮豆等を振る舞っていた。道幅も狭く、三叉路の交差点でもあったことから、馬車が通る時、よくこの石塔に馬や、馬車が引っ掛けて、数100m南方まで引きずられて行かれる事もよくあった。しかし、この神様は、又もとの位置に戻られ、何の祟りやお咎めもなく、優しい神様だ」と夫が話していた。 今も、月に1回は、この神様に、酒と塩を供えて祀っている。 石塔は、2つに分けて2体として立てられているが、本来は、これを一段に重ねて立てるのが本当の姿であるが、重くて重ねきらないこととや重ねて立てると危険性もあることから2つに分けて立てられている。
-
住吉神社
このお宮は住吉村のほぼ中央に位置しており、東与賀における村社の一つである。祭神は表筒男命・中筒男命・底筒男命の御三体を祀り、神殿・中殿・拝殿も堂々として184坪の面積を持ち、さすがに村社としての風格と規模を具備している。現在の場所に昔は大明神として、建坪7坪位の小さい庵があった。今もその前の民家を「庵の前」と言うそうである。神社の直ぐ北側の道路を「裏ん土井」と呼び、昔の一部の石垣も残っている。明治14年2月この村の辻忠六(演年)が神社並びに石垣等一式を寄付すると言い出したので、村人は協議をなしその結果、この神社の改築となったのである。それを機会に村の名を冠して「住吉神社」と銘名したのである。 さて現在の住吉神社の堂宇および境内は、佐賀市本庄町末次にある元船津の海の守護神を祀るのとほぼ同様であるようである。 神殿の再建新築は、昭和52年8月1日この佳き日に落成式を挙行した。その時の神官は佐賀市北川副町粟島神社の宮司宮田豊、総代は古川弥六・福井利八・野田清・光増久米次であった。その年の正月に御神体を北川副町粟島神社に一時遷座し、8月1日に新築成りし神殿に御帰還になった。その際は住吉に住む村の老若男女、小中学校の児童生徒たちまで沿道に並んで、御神体を歓迎した。総工費は1.500万円、寄付金と各戸割り当て並びに特別寄付によって支弁した。 この境内は広く一対の狛犬(明治15年10月天草市石工、橋口茂一)道祖命(明治13年2月1日寄付者、芹田利平)首なし地蔵(天保13年寄進10名)献燈(2基明治36年9月吉日)手洗鉢{石垣式、辻忠六(演年)、辻武一郎}の外幟立竿石(2基)等がある。珍しいのは明治38年戦役(日露戦争)に従軍記念の砲弾の塔があり出征した25名の従軍者の氏名が刻まれてある。更に広々とした境内には樹齢250年と推定される見事な藤の大樹がある。この古木は本県の名木として指定を受けており、その他にも欅(けやき)3本・どんぐり1本等これらも相当の古木で空高く生い茂っている。これらの古木と大樹は、朝な夕なこの宮に参詣する人々をして、自ら神霊のお加護に頭を垂れさせるに充分である。