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法輪山 西光寺
宗派 臨済宗南禅寺派 由緒 創建は永享年中(1429〜40)といわれている。開基、自空禅師。当時大干ばつのため諸国飢きん、悪病流行で土一揆、徳政一揆あり、民衆の苦悩を除き、平安な世にするため、一寺を建立し法輪山西光寺と号した。当寺はもと真言宗であったのを、元亀年中(1570〜72)川上万寿寺甫禅師に師事して臨済禅に帰依、以来法燈連綿現住西 允也氏に至り、門徒200余である。なお、内野の前田に西光寺川というのがあるが、延享年中(1744〜47)硯休禅師が、農民の難儀を救うため、開墾をすすめ、名尾川から引水したのでこの名がある。
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千人塚
千人塚は千人塔ともいう。藩政時代の刑死者の菩提を弔うために、刑場の一隅に建てられた供養塔のことである。嘉瀬町を西に外れると旧長崎街道が嘉瀬川堤防を上っていた。そこから凡そ100m南へ行くと南側の河川敷にこの塔が建っていた。 辺り一帯が鍋島藩政時代の刑場跡である。近年森林公園の建設にあたり千人塔は妙福寺に移されたが、現在は、それとは別に森林公園の北西部にも建てられている。およそ270有余年前、妙福寺の日仙上人が夢想をうけて刑死者のため供養の卒塔婆を建てたのが最初の因縁であった。その後明和3年(1766)8月同寺の日潮上人によって今日の石碑に改建された。