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西の原さん伝説(西原観世音菩薩)
昔、多久藩主の娘『おりん姫』というのがおられたが、家来と許されない恋仲となり妊娠したため、藩主は面目上これを見かねて家来に言いつけて処分することにした。その際父の藩主は娘の命を縮めることは心苦しいので、無言の内に意を含めたつもりで刀の鞘に「より」を結びつけて(ある説では高麗人参を結びつけ)家来に渡した(こっそり助けてやれとの意を含めて)。ところが家来は藩主の謎が解けず、ひたすらに主命大事と主君の娘を打ち首にしてしまい、後になって初めて主君の意中が分かり、その責を負って瑞光寺に隠棲し、『おりん姫』を祀ったといわれている。今でも瑞光寺では毎月19日に檀徒や集落方で観音講などがおこなわれ、またお産の神・安産の神として信仰する人も多く、お参りに来る方が絶えない。
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万部島
万部島は昔は川に囲まれた島であった。 龍造寺家兼(剛忠)が水ヶ江城内で法華経一万部を修業、読誦した経文を書写して城の東北の鬼門(陰陽道で悪魔が出るという北東の方向)に奉納した。(読経納経)この地が万部島である。家兼(剛忠)は「我が子孫、秀いずる者あらねば則ち下民を撫育し、慈悲垂れて家臣を憐れみ、人道を勤めておこたる勿れ」といい貯えていた財宝をことごとく貧民に施し、領民が借用していた銀米類一切を棄損(慈善・公益・救済などのための寄付・ほどこし)したという。 鍋島勝茂(初代藩主)より直大(11代)に至るまで萬禱石塔の記念碑が11基建立されている。 祈禱石碑 形式−台石、蓮華代、棹石(上部三角) 同一形式状寸法 第1基 松平肥前守藤原朝臣勝茂 第2基 大守従四位肥前侍従松平丹後守藤原光茂 同嫡男 第3基〜第11基(国家安泰、万民安楽祈念) 国家安泰・万民安楽を祈願するならわしは各藩で行われたが、佐賀では、鍋島氏以前、龍造寺家兼が永正2年(1505)3月、天亨和尚を導師として、野田石見が奉行となって領内の僧300人を集め執行したのが最初である。天亨和尚は剛忠の弟で水上山万寿寺の僧。また乾亨院の開山である。万部祈願塔をかまえたことは、天災地変によりこうむる年毎の災害が、最小限度に済むように、国家安全にして連続万代におよぶように、藩主一族、領民のすべてが安らかにして諸願円満に成就するようにと、大法要を営み、仁政のほどをしめしたことを裏書きするものである。