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山王社
山王の本社は比叡山山麓の日吉大社で大山咋神(おおやまくいのkみ)を祭神とする山の神である。山王というのは神道の理念としての神であるが、民俗でいう山の神は神道の枠外の民俗の神、民間信仰の神としてとらえられたものである。 民間信仰では山の神は春に里に降りてきて田の神となり、秋に再び山に戻り山の神になるといい、山と里の間を去来すると考えられてきた。山王が平野部では農業神として信仰されているのは、このような民俗的な両面の霊格を持っていると考えられているからであろう。 里の農民にとって、山の資源は貴重なものであった。青草は馬の飼料、田の肥料として利用されていた。さらに山は稲作に欠かせない水の源として、山の神は水を司るみくまりの神という面を持っているものも農業神としての一面である。また、山の神の実態は祖霊であるという説もある。先祖はつねに子孫を見守っており、稲作を基本とする社会にあっては豊饒をもたらすのが先祖の祖霊の役目であった。 県内の山王系の神社では、申年に田舞を伴う祭が行われるところが多い。四月ごろ、田起こしから種蒔き・田植えまでの所作を演じて方策を祈願する予祝(よしゅく)の行事が行われる。 (下満の山王社は)町内における唯一の山王神である。山麓部に祭祀されることが多いのは、山の神としての意識が強く田の神との去来信仰が考えられる。
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住吉
住吉は東与賀町の中央より少し南部に位置して、北は町道を隔てて中村と境し、西側は大きい縦堀を境に大野に面している。現在では緑野の美田に包まれた農村であるが、住吉神社の由緒にもあるように、この地域一帯は昔の有明海岸であって、水が澄んでいるところに青い葉っぱの芦が繁茂していた。このことから今日の「住吉」の地名が生まれたそうである。神社の直ぐ北側を東西に走る道路は「裏(うら)ん土井」と呼ばれ、昔の土堤の一部だった石垣も残っており、その由来も証明されるのである。 昔は純農村でほとんどが農家ばかりであったが、漸次に漁業も増し商業その他の職種も増加して町内でも屈指の村落に栄えていった。 この村落の特徴も産土神としての住吉神社を中心に、住民が和衷協同して、産業振興や文教厚生に努力したことである。即ち文教方面では明治初年には寺子屋の私塾があり、わが国の教育令発令前すでに、学校らしい教育の場が展開されていたのである。通称を「やっすん学校」と呼んだが、現在の石丸氏の自宅がその跡であった。産業面では何としても農業が主体で、1戸当たり耕作面積平均して180アールを越えており、本町内でも中村に次いで多い方である。それだけに農業技法に関しても研究熱心で、昔から螟卵採集・深耕(馬使い)・機械灌漑・麦踏み・株切り等、個人でも共同作業も極めて熱心であった。