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花房小路
片田江七小路の1つで、佐賀城下を描いた御城下絵図(元文5年:1740)を見ると、この小路の東南角に花房という名前の武士が住んでいたことがわかる。このことが、小路名の由来に関係がとも考えられる。
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廣瀬神社
社号 廣瀬大明神 祭神 若宇迦及売命・天照大神 豊受大神 室町時代の天文3年(1534)に創建され、大和の廣瀬大忌神社の祭神若宇迦及売命を主神として天照大神・豊受大神を勧請併祀した神社である。 主祭神の若宇迦及売命は農耕生活の守護神とされ、大和廣瀬神社の大忌祭は災害をしずめて豊作を祈る祭として古くから有名である。併祀した天照大神は太陽神、豊受大神は食物神で田の神とされている。 これらの神々を勧請した郷民は、天候の平穏と豊作を祈念して年々祭祀を営み、農作の護り神として尊信してきたのである。 近代になって、明治43年(1910)5月、神社の整理統合が実施され、祭神は杉神社に合祀されることになり、廣瀬神社は廃社となった。当時の人々はこれを「寄せ宮」とよんだ。 その後、社殿も山中地蔵尊の堂宇が焼失したためそこにゆずり、鳥居と敷地ならびに石祠だけが残されていたが、二次大戦後、神社法人のもとに復社することができるようになったので、廃社してから満50年目の昭和35年(1960)5月1日、廣瀬部落氏子一同によってもとの地に社殿を新築落成し、杉神社に合祀されていた3柱の祭神を新殿に迎え入れて奉斎し、廣瀬神社を再興したのである。なお、葉山神社の石祠もこの時同社境内に合祀した。