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成富兵庫とその恩恵2
成富兵庫の生涯をみれば、その前半は幾多の戦いに大功を立て、後半は治水事業に卓越した頭脳と妙技を発揮し、民衆の利益を図った。戦乱の際には兵馬を走らせ、国が治まれば開発事業に全力を打ち込み、文字通り寸暇もなかった。兵庫が救民済世の傑士と敬慕されるのも当然のことであるが、我々は歴史を知ると共に、過去の偉人の遺産に報恩の念を忘れてはならない。 明治44年11月15日、明治天皇が肥筑の野に行幸の折、その功を賞せられて従四位を追贈された。 成富兵庫茂安の名を町名としたこのゆかりの地に、みたまを合祀し300年の式年祭典が各地で行われた。(昭和9年) 兵庫の川西部の渕地方は、鍋島山城守の所領であったが、もともと茂安の知行3.200石の中から分地して山城守がもらったものである。
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池の神さん
日池公民館の横の池の中央に石祠が建っている。池が深く祭神を確認することができないが、地元では牛馬の神さまと伝えられている。10月25日に人々は池の廻りに集まり、立ち祭りをしていた。江戸時代、三瀬や下関屋から三反田の佐賀藩のお蔵に納める年貢米を積んだ牛馬はこの道を通っていた。この石祠の前で必ず止まり、参拝をしていった。もし、牛馬が病気のときは池の向こう岸に茂っている弥次郎竹の葉を食べさせると必ず治ったという。また、騎乗したまま、通りすぎると落馬するとか、馬が転倒するといい、必ず下馬して拝礼したと言い伝えられている。