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山水図襖 谷文晁筆 十二面
重要文化財
この図は、江戸時代後期の代表的な画家で、関東画壇に君臨した谷文晃(ぶんちょう)(1763~1840)が描いた、超大作の山水図である。 構成は、右端の背の高い松のある岸辺からはじまり、奥に陸地のみえる広々とした湖水、湖水に浮かぶ島、左端に握り拳のような山を中心とした陸地へ続いて終わり、空間を広くとり、景観はゆったりと配置されている。要所に家や人物を配し、徐々にモチーフを充実させ、拳のような山で最高潮となる構成がとられており、画面に右から左へ向かう展開の方向性が認められる。 描線は比較的少なく、墨を面的に使用し、ぼかしやにじみが効果的に用いられており、構成も比較的単純である。湖水の奥に延々と描かれる陸地によって、空との境界を明確にしており、奥行きのある景観の中でモチーフの前後大小関係を的確に配置していること、彩色と墨色が近景ほど濃く、遠景ほど淡い空気遠近法を使用して、遠近を明らかにしていることなど、全体として写実的な印象を与え、文晃の西洋画学習の成果が想起される。 左端、第12面左下に落款があり、文政3年(1820)6月に制作されたことがわかる。 当時、文晃は58歳で江戸にいたことが確認でき、この図は江戸で制作され、後に佐賀にもたらされた作品であるといえる。 伝来の経緯は不明だが、文晃とは近い関係にあった古賀穀堂(こくどう)や草場佩川(はいせん)などの佐賀の人物を介してもたらされた可能性が考えられる。 この図は、文晃の確認できる最大級の作品であり、保存状態も良好で優品に数えられる。
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上和泉遺跡出土瓦塔
重要文化財
上和泉遺跡は佐賀市の北東部に位置し、脊振山系南麓から派生する洪積台地上に立地する弥生時代から中世にかけての複合遺跡である。 瓦塔が出土した上和泉遺跡9区は、現在の久保泉工業団地の一角にあたる。遺跡の主体をなすのは8世紀後半~9世紀前半を中心とした時期の土坑群で、浅い谷地形の上がり際に群集するという特徴的な占地形態を示していた。また、遺構埋土も特徴的でいずれも人為的に埋め戻されたような状況を示していた。このような土坑群は周辺遺跡の調査においても検出されており、その性格としては「集団墓地」あるいは「土取り痕跡」ではいかという指摘がなされているが、確定はできていない。 瓦塔はこのような土坑群の中の1基から出土した。土坑からの出土遺物は8世紀後半~9世紀前半にかけての須恵器・土師器であり、このことから瓦塔の年代も同様と考えられる。 瓦塔は、組合わせ式仏塔の初重軸部(下から一段目)にあたり、ほぼ完存する。土師質土製品で、器壁の一部に赤塗りの痕跡が認められる。器高37.6センチメートル、基壇幅34.2~35.4センチメートルを測る。平面柱間は3×3間で、四面に開口部を設ける。基壇は二重基壇、柱は四角柱を表現しているものと考えられる。 組物は、尾垂木と持ち送りは一体化した立体的表現がされているが、その他のものについては平面的な表現に省略されている。 瓦塔は、奈良・平安時代を中心に造られた実用型仏塔の一種である。軸部・屋根等の各構成部位毎に窯で焼き上げた後、それを組み合わせ木造高層塔婆模造の中型塔婆とし、屋外あるいは屋内に建立された。 瓦塔の九州内における出土例としては、福岡・熊本両県で数例を確認しているが、佐賀県内では初の出土例である。しかも、初重軸部のみとはいえほぼ完存しているものは九州内において他にはない。 瓦塔は、仏教信仰と密接な関係をもつ遺物であり、仏教文化の地方伝播や当時の思想・杜会情勢を研究する上で重要な資料である。