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勝宿神社本殿 一棟
重要文化財
勝宿(かしゅく)神社は佐賀市久保泉町川久保の北端で山に囲まれた景勝の地にあって、神代勝利を祀り、江戸末期に長崎から棟梁を招いて建立されたと伝えられている。 社殿は本殿と拝殿とから成り南面し、拝殿入母屋造り瓦葺で近世の新しい建築であって、造りも簡素である。本殿は、一間社流造りで向拝に江戸風の軒唐破風がつけられている。 基壇は、高さ四尺(1.21メートル)、花崗岩の白然石乱積みで上端に葛(かずら)石を配してある。屋根は、銅板葺で棟、鬼板、鳥衾(とりふすま)共鋼板で加工され、鬼板には三つ巴の紋が小さく型打ちされている。軒は二軒繁棰、地垂木、飛燕垂木共に角材、軒唐破風は疎棰で屋根の反りに合わせて曲の棰が使われている。本殿の四本の柱は円柱、向拝の柱は角柱で唐戸面が取ってある。妻破風の上下は透し彫りの木彫で飾られ、拝懸魚(おがみげぎょ)は室町風の藁(かぶら)懸魚に三つ巴の紋を浮き出し、鰭(ひれ)及び降(くだり)栱懸魚は若葉模様の木彫、妻壁は蟇股、斗栱(ときょう)、虹梁や竜頭(たつがしら)の彫刻の真束で組み立てられていて、それらの空間は波や雲型の彫刻で充たされ、柱頭には植物の木鼻なども添えられている。 また、正面唐破風の壁も、斗栱、二重虹梁、獅子の彫刻の束や、二重虹梁の空間の波に戯れる竜の彫刻などで埋められている。向拝の柱の正面、側面には前肢を伸ばして、口を開いた獅子の木鼻がついていて、両妻と正面の上部の壁は豪華に飾られている。本殿正面には、両開きの格子戸、右側面には壁の中央より左に偏って両開きの浅唐戸が吊ってあって、この扉の上面の鏡板には木彫の三つ巴紋が浮かしてある。扉を除いた壁面及び左側面、背面の壁は、すべて中の広い横板張りである。本殿の四周には縁を廻らし、組勾欄を設けてあるが、正面階段と、右側面の浅唐戸前に擬宝珠柱が立っている。縁は三手先の斗栱によって支えられ、縁の下の建物周囲には亀腹が施されている。 用材は欅(けやき)を主体に桧(ひのき)も一部に使われていて彫刻材には楠を使用し、木部見え掛りはすべて白木の化粧仕上げである。屋根は現在銅板葺であるが妻飾りなどの華美さに比して鬼板、鳥衾(とりぶすま)、棟などの手法が簡単すぎて、ややふつりあいである。 やはり、創建当時の屋根は古来の神殿造りの様式を踏襲して、桧皮葺(ひわだぶき)であったものを後世に補修した折、銅板葺に葺き替えられたものと思われる。 この本殿は一間社造りの小規模の建築であるが、その木彫技法の巧緻さはいうまでもなく広い重量感のある反り屋根と、斗栱に支えられた廻り縁とのすばらしい調和など、山の緑を背にしたその姿は美しく江戸後期の数少ない遺構として貴重な建物である。
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釈迦三尊像
釈迦三尊像 宗仁作 三躯 【作 者】大仏師宗仁(林長右衛門尉国次) 【各像高】(釈迦)37.6㎝ (文殊)47.0㎝ (普賢)46.5㎝ 【制作年】江戸時代 承応4年(1655)3月 【由 来】 宗智寺は佐賀藩の藩祖とされる鍋島直茂を開基とする曹洞宗の寺院。 この仏像と同様の釈迦三尊像が鍋島家菩提寺の高伝寺にあり、毎年4月の一時期のみ開帳される 秘仏となっている。ともに初代藩主の勝茂の依頼により承応4年(1655)に京の大仏師宗仁(林長右衛門尉国次)が制作したものであることが銘文などから知られる。高伝寺の仏像は赤栴檀(あかせんだん)でつくられることに対して、宗智寺のは榧(かや)でつくられていてやや小さく、試し彫りとの伝承がある。 両像とも父直茂と母の菩提を弔うためにつくられたもので、制作の前年が直茂の37回忌にあた るので、そのことが契機になったと推測される。 宗仁は鎌倉時代の名匠運慶の子孫を自称している。将軍家ゆかりの上野寛永寺護国院や伊達氏ゆかりの仙台の輸王寺に作品が残っていて、有力な仏師であったことがわかる。宗仁は勝茂の位牌も作っているが、二匹の龍をあしらい七宝金具を用いた特大の立派なものである。 白檀などの香り高く、木肌のきれいな木材に精密な彫刻を施した仏像をとくに檀像というが、この仏像もその一種で、本体と台座、光背すべてに榧を用いていて美しく、今でもかすかに甘い芳香を漂わせている。 細部にまで細やかに彫刻した入念の作で、江戸時代彫刻の中でも抜きんでた出来栄えである。