新着情報 topics
ピックアップアーカイブ pickup
-
石神(しゃくじん)祭り
かつては個人や会社によって祀られていた。 平成20年9月、西寺井自治公民館を新しく改築するのに合わせて、土地も西寺井に譲渡され、新北神社の神官川浪氏にお祓いをしてもらった後、敷地内に鎮座するようになった。今は、自治会長が榊をあげ祀っています。従って今後は年に一度西寺井の石神として大切に維持すべく各隣保班代表も参列し、石神祭りの催事が行われる予定です。 「石神」石に神霊がこもるとする信仰は、日本人の信仰の特色で、石を神の依代(よりしろ)とすることが民間で多く、石を祀って縁起を伝える神社も多い。これらは、神の降臨を仰ぐため、特定の土地を石で囲って築いて、石を標示物にした信仰に由来しているといわれている。
-
祐正寺
【開基】祐円和尚(古川孫ェ門入道)慶長14年(1609)卯月29日生 【本尊】阿弥陀如来 【由緒】開基祐円和尚は、後陽成天皇の御宇、永正15年(1587)戊寅2月15日誕生。その祖は菅原右大臣の家臣古川氏の孫裔俗中飯盛の住人古川孫左ェ門西本願寺一派に帰依し、家は嫡子孫右ェ門に譲り出家す。しかして正親町天皇の御代天正元年(1573)55歳にして祐正精舎を建すとある。 要津山祐正寺は天正14年(1586)上飯盛村下分、現在の東与賀町中飯盛の地に古川孫左衛門尉法躰祐円法師の創建と言う。 それより100年を経て第4世宗信教師の延宝8年(1680)当舎を現在地の西与賀町元相応に移し、弥陀の本誓を開信する道場たることをここに法燈400年なりとある。 現在の建物は昭和4年に建立され、その後昭和43年に大改修されそのおり山門より棟札が発見され次のような銘が記入されていた。 ○寛延己巳貮季 大工石田右衛門尉 奉建立御堂宇現住桂秀小工数人 鑑治○賀伊左衛門惣棟 山門を入って右側に祐円和尚の墓がある。自然石を尖頭形にくりぬき高さ95cmで底部はいけ込みとなっている。墓碑の前面に次の銘が記されている。 慶長14巳酉 祐正教寺開基釋祐圓廟 また本堂中央の前面に縦70cm、横1mの額に親鸞上人の絵が描かれている。この絵は越後の国(現在の新潟県)居多ヶ浜へ御上陸のお姿を描いた貴重な絵である。これは広島県出身で、東光会会員の武永槙雄画伯の作とされ近年当寺に寄進された。