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高傳寺家永恭種の墓
家永は弘化元年(1844)佐賀に生る。通称を範之助、嘯倣と号す。早くから文武両道に達せられて維新の際参謀となって、奥羽戦争に従軍され功労があった。 佐賀県参事、水戸裁判所長などを歴任、明治7年佐賀戦争後大いに地方の衰退を慨嘆し、官を辞して帰国され、松風社、戊寅義学を起して佐賀の民風を振興する事に努力された。殊に佐賀取引所の創立等に力を尽くし、その他色々世の為に貢献された人である。 また、明治22年(1889)佐賀市制施行に伴い、佐賀市会(議会)初代議長に選出される。
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味志瓦の元祖
瓦焼が繁栄を極めたのはこの地では明治以来のことで、その以前には味志家の独占場であったといわれ、このことは、味志家の系図等によって知ることができる。 これによれば、味志家は小川総右衛門と共に藩祖鍋島直茂に仕えて瓦焼を業として、一手にやっていたが、その後、小川家は安住(北川副)に御免地を賜わり、味志家は今の長瀬町の与賀神社下宮の北東一帯の御免屋敷を賜わり、味志・小川両家は名実共に瓦焼を独占した。豊臣秀吉名護屋城築城に際して瓦の納入を仰せつかり、子孫の専業を公許された。今日味志家は昭和35年頃瓦業のすべてを閉じてしまった。