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侯爵鍋島家佐賀内庫所
明治以降、鍋島家の御館は城内の三の丸であったが、明治7年2月に起こった佐賀戦争により焼失した。筋違井樋辺より県庁(本丸)めがけて大砲を発射、御館が矢向になり、2月16日午前10時頃より御館に火が掛り、蔵々共残らず焼失と「日記」(※鍋028−1)にある。 その後、鍋島山城(親類・白石鍋島家)抱地であった宗龍寺東側の地に移転、明治9年5月「佐賀御館御玄関より役所迄の処藁葺に候処、当節瓦に葺替相成候事」とあり、比較的質素な建物であったようだ。一般的に内庫所と言われていた建物は、明治末から大正初めにかけて改築されたもので、大正5年の陸軍特別大演習には摂政殿下(皇太子)お成りの予定であったが、聖上の様態が思わしくなく、急遽閑院宮が代わりを務め、新築の内庫所に宿泊された。 当屋敷は、戦後手放され、宗教団体の善隣会所有となったが、昭和40年ごろ、武雄の御船山観光ホテルに移築され、部分的な改築はあるものの、鍋島報效会所有の平面図と比較してみると、ほぼ原型を留めて現在も客室として使用されている。 ※鍋島文庫整理番号028-1 ※写真は内庫所のあった場所に建てられた市民会館。市民会館は2016年3月末に閉館し、現在は別の建物が建っている。
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西濠端周辺史跡
この一帯は龍造寺氏時代の村中城のあったところである。老楠が茂り、城内側の若楠会館の西側には楠を献身的に守った楠おばさん故福田ヨシさんの記念碑がある。西濠端に面してはイギリス宣教師が住んでいた、数少ない明治の洋風建築の中元寺家がみられる。その近くの小路の奥には大隈重信の墓地がある龍泰寺がある。この寺は龍造寺隆信が建立した曹洞宗寺院、寺号は龍造寺安泰から山号を平安山と称している。現在の本堂は佐賀城本丸屋敷を解して改築したものである。