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中島哀浪旧宅(坐泉荘)
中島哀浪は明治16年の生まれで本名は秀連という。佐賀中学時代より高田保馬、下村湖人らと作歌に励み、さらに早稲田大学中退後帰郷して「ひのくに」社を主催した。彼は同年代で何れも早稲田大学を中退した若山牧水、北原白秋と共に九州の三大歌人と称されたが、1人郷土にあって歌境を深めた。そのおおらかな調べは哀浪独自のもので全九州の歌人に大きな影響を与え今日に及んでいる。
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旧長崎街道の大曲、小曲
構口から道崎まで現在は一直線の道路になっているが、長崎街道当時は各所に曲りくねりを設けてあった。構口より牛島宿までの所を大曲、小曲といったが現在は狭い農道となっている。 構口橋より川にそって南下し、更に曲りくねりしながら東進し牛島宿、高尾宿を通り、藤棚を経て東進し、郡境付近で大きく曲っていた。古老の話によると敵軍兵の襲来がわかりやすいことと敵兵に対する襲撃がしやすいためであったとのことである。