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巨勢大明神のお告げ
永禄9年、豊後国の大友入道宗麟が大軍を起こし、佐賀に攻め寄せた。元亀元年再び大軍を進め、その勇壮な進撃には佐嘉城はちょうど風前の燈のようであった。この戦いに鍋島信生公は命をかけられ長刀を揮い、巨勢大明神を拝し祈願をこめられると不思議にも快勝した。 その日、すなわち4月22日巨勢の宮に野営されたが、その事がただちに敵方に知れ、敵は夜討ちを企てようと忍びを入れた。ところが敵の眼には巨勢大明神のお加護で「佐嘉城より高尾口まで松明幾千万本とも知れず、その間を城兵はぐんぐんと繰り出している」のが見えたので夜討ちをついに中止した。実は佐嘉城からは一人の援兵もなく、また屯兵は昼の疲れで宵には厳重な用心にもかかわらず、みな具足を枕に寝てしまっていたらしい。 ついで、8月18日夜深更龍造寺隆信公が巨勢大明神の前を通過されると「敵は北山にあり、夜討ちして利あるべし」と、お告げがあった。その通りにしたら敵の総大将八郎親貞は討たれ、さしもの強敵旭日昇天の豊後勢も完全に潰滅してしまった。巨勢大明神のご利生に人みな驚くばかりであった(『肥陽古跡記』『神社調』巻末記載)。
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鍋島更紗 工房跡地
佐賀更紗文書 鍋島更紗は、古く佐賀に伝わる優美な染織品である。 工房は、佐賀銀行白山支店跡(白山二丁目)付近にあった。 慶長年間、鍋島直茂の朝鮮出兵の折、伴なって来た李朝工人・九山道清が伝えたといわれている。道清は、のち九山庄左衛門と改名、藩の庇護を受け諸大名や幕府への献上品を作った。 技法は、木版ずりと型紙ずりを併用した独特のもので色染めも精巧を極めた。