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「嘉瀬川の古い流れ」
嘉瀬川は、縄文中期(約5千年前)頃、脊振山地の麓に沿って支流をもちながら、東の方に流れ筑後川に注いでいた。水量豊かで舟楫の便があったらしい。 奈良時代(710~793)頃、市ノ江・巨勢江湖・佐賀江の線が、嘉瀬川の本流である。この佐賀江は、巨勢江湖をはじめ、中地江その他の細流を集め東西に流れ、東は筑後川(大堂川) に注ぎ、西は新川などの支流をつくる。 平安時代・鎌倉時代(794~1085、1192~1333)頃、嘉瀬川は、なお西漸して、八田江湖の線に移り、戦国時代(1491~1603)頃、本庄江湖より更に西に移る。 近世初頭(1604~1867)頃、現嘉瀬川河道に納まったものと想像される。 江戸時代(1603~1867)初頭、成富兵庫の治水利水事業の推進によって河道も安定した。 成富兵庫茂安は、元和年間(1615~1624)から寛永年間(1624~1644)にかけて石井樋を設けた。
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大運寺(浄土宗)
1610年(慶長15年)寂譽無人上人(じゃくよ)が岸川町に建立した浄土宗のお寺です。