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円融寺
山号 慈光山 本尊 阿弥陀如来 創設年代 寛永年間(1624-43) 開基 了専 沿革 内田舎人正右衛門兄弟が鍋島家に奉公し、数百石を得ていたが、舎人が故あって浪人となり、孫内田安右衛門が出家して、了専と称し、当寺を創めた。 昭和50年、本堂新築成る。 12代晄融は、北米開教総長、本願寺布教研究所長等を歴任、晩年は自坊で、門信徒や有縁の教化に尽くした。 【内田晄融(第12世)】内田曇叡の長男として生まれ、超宗派的な仏教布教活動を続け、大正4年世界仏教大会を開催、第1次世界大戦終結と平和回復の決議文を米大統領に伝達した。大正12年帰国、西本願寺布教研究所初代所長などを歴任、昭和20年帰佐、佐賀龍谷短大講師のかたわら地方教化に奉任した。同大に「内田文庫」4,000冊がある。
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願正寺本堂・初の県議会会填
願正寺は慶長5年(1600)の創建であるが、現在の本堂は元禄15年(1702)の建立で、3代佐賀藩主・鍋島綱茂が大檀越となり、親類同格の多久家・多久茂文が廰主となって、当寺第6世慶海を願主として竣工した。 佐賀藩内の真宗の中心寺院として建てられた、13問四面の、九州でも有数の大きい木造建築である。歴史的に見てもほかに類をみない年輪と機能の集積を重ねた貴重な建物である。 天井裏の骨格はいろいろな種類の木材が組み合わされており、お殿様の御声がかりで藩内各地から木材が集められたようである。 また、本堂内陣と外陣の巨大な丸柱と天井の格子板はすべてケヤキ作りであり、今日では外材以外では復元不可能といわれる貴重なものである。 なお、この本堂では本来の参詣者用だけでなく、たとえば明治16年8月、初の佐賀県議会が開かれ、19年1月の臨時県議会まで通算7回の議会開催に使用されたと思われる。 当時はまだ、大勢の集会ができる大きな建物がなく、産業関係など、さまざまな会合や催しに願正寺などの城下の本堂が使用された。