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若宮八幡社
小里と坪の上の境の田圃の中には、若宮八幡社という祠があった。熱病の神様として信仰を集め、人々は、豆腐を供えて祈願をしていたが、後段々と廃れてきたので、長く高木瀬小学校の校医をしておられた池田俊溢氏がこれを遺憾とし、大正10年頃自分の屋敷内に移され、今も池田氏の庭に安置され丁重に祀られている。 天明七年(1787)二月吉祥日の刻がある。 小里本村より、二又へ行く分かれ道には太神宮と猿田彦大神の石碑がある。猿田彦大神には明治22年12月19日、小里分施主、木下茂吉、羽立弥八と記してある。 道路改修などにより以前の場所とは少し変わっているが、今も小里本村の安全を守る神様として大事に祀られている。若宮八幡宮と2体の石碑は、小里五社権現の秋祭り(勤労感謝の日)と一緒にしめ縄を張りお祀りをしている。
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円光寺
【名称(山号)】普照山 円光寺 【宗派】浄土真宗本願寺派 【本寺】京都府西本願寺 【創立年代】天正8年(1580)に西本願寺より寺号授かる。第106代正親町天皇の頃である。 【開基】内田紀伊の末孫、内田四郎左衛門が出家し流教と称した。寛永元年(1624)開基。 【沿革】(『円光寺建立之年記』による) 内田四郎左衛門は道免より別れて初めは下古賀(現在の鍛冶屋-秀島氏宅西側)に居住し田地も7・8町歩に達したが、大雨水害のため家産をなくしたため、下古賀のうち船津南(現在の今町の現地)に出家し、寛永元年(1624)寺院を建て流教と称して開基した。これが現在の円光寺である。 過去帳書き初め−寛文12子年(1672)本尊−阿弥陀如来、現在の本堂は明治24年第12代住職五十嵐卓道によって建立された。 開基の流教は、布教はもちろん治水事業にも力を入れ、現在も本寺の南方約500mの所に「左衛門井樋」が残っている。この井樋は流教(左衛門と号した)が構築したもので、昭和28年の佐賀県を襲った集中豪雨と大水害の際にも非常に役立った。この近郊の村民は、「シャーモン井樋」の愛称で呼び、その遺徳を偲んでいる。従来その井樋の直ぐ側に、記念碑(四角で高さ60cm)を建てていたが、今回の圃場整備の際に心なくも無雑作に撤去され、せっかくの功績も跡なく消失して誠に残念である。 山門側の鐘楼には、戦前まで梵鐘がつるされてあって、朝夕には毎日時刻を告げていたが、昭和18年の戦時中に供出され今日では鐘楼だけが残っており、寂寥を禁じ得ない。 【その他特記事項】 本寺院の周囲は堀に囲まれた「城づくり」になっている事が特徴で有名である。現在の庫裡は、住職第14代五十嵐貫雄の時、昭和45年11月に新築された。 客僧室の地下には、先祖からの鎧・かぶと等が埋蔵されているとの伝承がある。 檀徒戸数137戸