新着情報 topics
ピックアップアーカイブ pickup
-
地蔵信仰
地蔵菩薩は、釈迦入滅の後、弥勒菩薩が現われるまでの間、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の救済の菩薩とされ、平安末期におこった末法思想により庶民の間に広く信仰されるようになった。 近世には、さらにあらゆる願いをかなえてくれる仏として祈願され、いろいろな供養塔の本尊としても用いられるようになった。佐賀においては三界萬霊塔の上に建つものが多い。三界とは欲界(食欲、性欲など欲の世界)、色界(物色の世界)、無色界(欲も物もない精神のみの世界)の三つをさし、この世のすべての霊をこの塔に宿らせ回向することによって誰でもすべての霊を供養することができると言われ、集落の辻など多くの人から回向をうけやすい場所に建立されている。 また、独尊像のほかに六地蔵像がある。六地蔵は六道巡錫(じゅんしゃく)を造型化したもので、丸彫り像を6体並べたものと石幢に彫ったものがある。 六地蔵の典拠となるものは不明で、諸説があって一定しないが1、2を示しておく。 地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道、あるいは、予天賀地蔵・放天王地蔵・金剛幢地蔵・金剛悲地蔵・金剛宝地蔵・金剛願地蔵などで、これが造型化されたものと言われている。 石幢に彫られたものは六地蔵像と観音信仰で記した六観音六地蔵像があり多くは寺院や墓地でみられる。上古賀の栄蔵寺境内には、三界万霊を中心に左右に3体ずつ6体の地蔵と石幢六地蔵があり実久の龍水院前、立野公民館前と路傍、下飯盛地蔵院・龍田寺などにもある。 地蔵は身近な信仰の対象として庶民に親しまれており、いろいろな伝承を持つ地蔵がある。実久の通称泣きびす地蔵(夜泣き地蔵)は、赤児の夜泣きを封じる地蔵として、夜中に人に知られぬように赤色の胸掛けをかけてやると良いと言われている。中村の地蔵は眼病に霊験があると言われ、中割の地蔵は男児を望む人の信仰を集めている。
-
正法寺文書 三十二通
重要文化財
正法寺(しょうぼうじ)文書は、佐賀平野の中央部、現佐賀市北部の臨済宗東福寺派正法寺に伝来したもので、総数32通、時代は鎌倉時代から室町時代にわたるものである。 最も年代の古い正和(しょうわ)3年(1314)の鎮西御教書(ちんぜいみきょうしょ)は、鎮西探題北条政顕(まさあき)が寺領内に武士が乱入して乱暴なふるまいを働くことを禁じたもので、当寺を保護するための命令書である。 以後、南北朝時代・室町時代にわたり、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)・足利尊氏(あしかがたかうじ)・一色道猷(いっしきどうゆう)・征西将軍宮懐良親王(かねながしんのう)など、著名な人物が当寺に文書を与えて、祈祷を依頼し、また保護を加えている。 当寺は、もともと肥前の有力な御家人(ごけにん)高木氏歴代の菩提寺で、このため、高木氏の成長とともに寺の勢を拡大維持し、他寺に抜きん出たものと考えられる。 一か寺として、鎌倉時代から室町時代にわたる著名な差出人の文書がまとまっており、肥前の有力御家人の菩醍寺(ぼだいじ)がどのような勢力と結びついていったかが、一貫してうかがえる貴重な文書である。現在は巻子本(かんすぼん)2巻に仕立てられている。