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祇園社
国道207号線沿いの久保田宿の中ほどにある。 社の創建の時期は定かではないが、弘化3年(1846)の西持院文書に、「祇園社敷地二畝十六歩、地米一斗七升五合、若狭殿分御免地宮司双林坊」という記録が残されていることから、それ以前の建立と推定される。 祭神は素盞鳴尊(須佐之男命)、荒神様として氏子の人々に恐れ敬われてきた。 境内の入口にある明神鳥居には「文久四年歳次甲子孟春吉旦」と刻されている。 鳥居の両側には瓦屋根の格子塀が続いていたが、今はブロック塀に変わっている。 拝殿の前には、左右に「文久元年」と刻された石燈篭と、「万延元年」と刻された狛犬がある。他に、石の手水鉢があり「安政七年」と記録されている。久保田宿は、昔の長崎街道の宿場町として栄えたところで、往時、旅館はもちろんのこと、かじ屋、大工職、酒屋、桶屋、畳屋、床屋、豆腐屋、歌舞伎役者など数多くの家が軒を並べていたことから祇園祭りも華やかなものがあったと想像される。 毎年、旧暦6月15日は夏祭りで、神事、余興などで賑わった。祇園社の夏祭りの日は、各家庭では、和紙を張った行灯を作り、絵を描き造花で飾って家の入口に立てた。祭り客をもてなす料理は「タラの煮しめ」に「ウリの酢もの」などで、祇園の日はキュウリは食べないというところが多い。切り口が祇園社の紋に似ているからとも言われている。また、祇園の日に泳ぐとカッパにヘソを抜かれると言い伝えのある所もある。
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西濠端周辺史跡
この一帯は龍造寺氏時代の村中城のあったところである。老楠が茂り、城内側の若楠会館の西側には楠を献身的に守った楠おばさん故福田ヨシさんの記念碑がある。西濠端に面してはイギリス宣教師が住んでいた、数少ない明治の洋風建築の中元寺家がみられる。その近くの小路の奥には大隈重信の墓地がある龍泰寺がある。この寺は龍造寺隆信が建立した曹洞宗寺院、寺号は龍造寺安泰から山号を平安山と称している。現在の本堂は佐賀城本丸屋敷を解して改築したものである。