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海童神社奉納浮立
重要無形民俗文化財
海童神社の秋季例祭に豊作豊漁を感謝して奉納される伝統的な浮立で、佐賀平野に広く伝承している天衝舞浮立である。起源については、寺井津の住人、玄蕃亮常利が中断していた浮立大神楽を再興したと伝えられている。 特徴と見所は、奉行、笛、鉦、大太鼓、和讃(モリャーシ)その他で構成されている。神輿巡行のときはお供として道囃子を奏しながら練り歩く。神社や御旅所の境内では、本ばやし、つくい浮立が奉納される。天衝舞人は浮立の主役で、神前で神を拝み、囃子に合わせて舞い、太鼓を打つ。 つくい浮立は娯楽性の高いもので、なかでも「すもとい(相撲取り)浮立」といって、相撲甚句に合わせ、浮立の打子が「ドスコイドスコイ」と掛け声と踊りが名物である。
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島義勇の旅日記 一巻
重要文化財
慶応4年(1868)2月16日から始まって、同年5月6日に至る約100日間の記事である。多忙な間に書いたものだから、なかには単なるメモに過ぎないところもあるが、江戸城明渡しを中軸とする前後の世相と義勇自身の動静を知ることのできる貴重な記録である。 殊に義勇が接触した人物は、明治維新史に現われる主要人物の大部分といってもよい。それが日記に明記されている。特に、個人の遺墨としては書画の類が多いのに義勇の旅日記は異色である。 島義勇は、佐賀藩士で明治維新に功績のあった人だが、明治7年(1874)の佐賀の役に江藤新平とならんで、首領であったことが有名である。 義勇は、文政6年(1823)有師(ありみつ)の長子として、佐賀城下西精に生まれ、弘化元年(1844)家督をついだ。はじめは皇学を学んだが、弘化年代江戸にでて、佐藤一斎の門に入り陽明学を学んだ。郷里に帰ってからは藩命によって国学指南となった。明治2年(1869)7月には蝦夷開拓掛を命ぜられ、同年9月石狩国府に赴任して開庁している。北海道開拓には義勇は非常に力を入れ、今でも追慕する人が多いという。