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二一世紀県民の森
二一世紀県民の森は、北山湖畔に、佐賀県政百年記念事業として、11年の歳月と42億7500万円を投じ、平成3年(1991)3月完成した。脊振・北山県立自然公園の恵まれた自然環境を活かし、人間が自然にふれあう憩の場である。利用面積200ha、うち県有林50ha、富士町有林2ha、民有林147haである。 主なる施設として、展示ホール、学習館、研修施設の森林学習館をはじめ学習展示林、野鳥の森、世界の森、ふれあいの森、えびね園、水辺植物園などの学習施設がある。 1周6km、3ヶ所のステーションに200台の自転車があるサイクリング施設、多目的広場(ソフト1面)、運動広場(テニス3面)、冒険の森、フィールドアスレチック、草スキー場、ネットコンビネーション、ジェットローラースライダー、ゆらゆら橋、キャンプ場、木工芸センターの訓練施設、それに記念広場、展望台、遊歩道、手こぎ・足ふみボートなどの施設が整備されている。 総合案内センター「ほおの木」は総合案内、特産品の食堂売店、喫茶など利用者の便宜を図るとともに、県民の森全体の管理をしている。 地元の富士町、三瀬村、農協、森林組合で第三セクター「北山湖地域振興公社」を設立し、県民の森全体の管理運営、それに北山少年自然の家の食堂部、北山湖の遊覧船の運営など利用者の利便を図っている。
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本庄神社楼門の猿
慶長17年(1612)8月鍋島直茂が本荘の宮の社殿を新に造営すべく脊振山や北山から桧材を出させ、国内の名匠を集めて、造営させた。特に楼門は当時名匠の聞えある多久田の番匠(詫田の万乗)の作だと伝えられている。 この楼門の上に置かれた2匹の木彫の猿はさながら生けるがごとく、見る者がほめぬ者はなかった。しかるにこの宮が新に造営されて以来、不思議な事が続いて起った。それは付近の田畑が荒される事と、店先の菓子や果物が無くなる事であった。 村の人々は毎日不安の夜を送っていた。しかるにある月夜の事、黒い物が二つ畑を荒らしているのを見つけた。さてはてっきり此奴の仕業であったかと、彼をとっつかまえようと追い廻したが、なかなかすばしこくてどうしても捕える事が出来ない。遂に黒い二つのものは、本荘の宮の方に逃げて行くので、なおも勇気を出して追って行くと、楼門の柱をスルスルとよじ登った。 そこで側によってよくよく見れば何とそれは彫刻した2匹の猿公であった。そこで氏子連中が集って話合いの上、直茂に伝えて眼をつぶして猿公を後手に縛り上げた。それからは猿公も仕方なく梁の上におとなしく居るようになったという。これが楼門の上に居る2匹の後手の猿の話である。また、この楼門は桃山末期の作であると伝えられ趣きがある。 この宮の太鼓橋その他は、与賀神社、牛島天満宮など同一の形式を備えており同時代の神社構築の様式を知る上に良い資料である。 惜しいことに与賀神社で見るような太鼓橋両側の河中の燈籠が明治時代まではあった筈なのに今は無くなっていることである。