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[旧佐賀市][指定文化財 国 工芸品]は3件登録されています。
旧佐賀市 指定文化財 国 工芸品
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太刀 銘康(以下不明)伝康光 一口
重要文化財
この太刀は「康」以下不明であるが、備前国(岡山県東部)長船(おさふね)の康光の作とされている。この期の備前刀を一般に「応永備前(おうえいびぜん)」と呼び、盛光(もりみつ)・康光・則光(のりみつ)を三光(さんみつ)と呼んでいる。現在康光の作刀で「応永二二年二月日」(1415)の紀年銘が国の重要文化財に指定されている。この太刀もこの頃の作と思われる。佐賀市の与賀神社に奉納されているもので、県内では数少ない名刀のひとつである。 法量 長さ72.3センチメートル。 反り 2.4センチメートル。 形状:鎬造(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね)、細樋(ほそひ)が鎬にそってある。 鍛(きたえ):板目肌(いためはだ)。 刃文(はもん):匂本位(においほんい)の丁字乱れで、下の方は乱れが小さく、上にいくほど大きくなっている。また、腰の開いた乱れが交わり、映(うつ)り(地に白く影のようなものが立つ)が現われる。 帽子:乱れこんで小丸に返る。 中心(なかご):生(う)ぶ。栗尻(くりじり)、鑢(やすり)目勝手下り。目釘穴1個。
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色絵椿文大皿 鍋島 二枚
重要文化財
安政2年(1855)に作成された『御寄附物帳』に、鍋島勝茂から菩提寺の高伝寺へ寄進されたものとして記載されている「南京焼錦手大御鉢 壱ツ損物 二」に該当する作品で、2枚一対で伝来したものである。 2枚ともロクロで引き上げて成形している。口縁部は折縁にしてイゲ縁状に角をつけている。内外に呉須で文様を描き、内面のみ色絵を施している。文様は基本的に同じであるが、口縁部の花頭状の区画文様に若干の違いが見られる。素地の厚みや焼成状態にも差異が見られ、甲は素地がやや厚く十分な焼成がなされていて青味が強い。こちらの口縁部に補修があり、『御寄附物帳』にいう「壱ツ損物」にあたると考えられる。乙は素地がやや薄く焼があまくて細かい貫入が多い。法量は以下のとおり。 甲 口径39.1センチメートル、高さ9.4センチメートル、底径20.3センチメートル。 乙 口径38.7センチメートル、高さ9.7センチメートル、底径19.5センチメートル。 これらは、同時期に同工房でつくられたものと考えてよいが、見込みの椿文の表現に相違点があり、甲が有田の初期色絵に多い色絵の黒線で輪郭を引くのに対して、乙はのちの鍋島焼が特徴の第一とする染付輪郭線(骨描き)を用いる。また、双方ともに口縁部に有田の初期色絵と通じる花唐草文の表現法が見られるとともに、高く削り出した高台やハリ支えを一切使用しない点など鍋島焼につながる技法が見られる。 以上のことから、これらの作品は大川内山鍋島焼の前身的な窯である有田岩谷川内の御道具山で制作されたと推測され、肥前の色絵磁器の変遷を知る上で大変価値が高い。 (写真:鍋島報效会提供)
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色絵山水竹鳥文輪花大皿 一枚 (附)色絵山水竹鳥文輪花大皿 一枚
重要文化財
安政2年(1855)に作成された『御寄附物帳』に、鍋島勝茂から菩提寺の高伝寺へ寄進されたものとして記載されている「青絵御鉢 内壱ツ裏銘大明嘉靖年製 二」に該当する作品で、2枚一対で伝来したものである。 1枚は中国景徳鎮の作品で、型打ち形成により口縁部を稜花形につくり、内外に呉須で文様を描いて色絵を施している。口径34.1センチメートル、高さ 5.1センチメートル、底径22.5センチメートル。 もう1枚は、景徳鎮の作品と同形同工の写しの有田焼。口径34.5センチメートル、高さ 7.0センチメートル、底径22.5センチメートル。 景徳鎮の大皿の高台内には、色絵の赤枠内に「大明嘉靖年製 福」の銘が染付けされるが、このような銘は、崇禎期(1628~44)ごろの色絵祥瑞と称される一群の作品の中に見られる特徴である。この作品で特筆すべき点は、高台周辺の釉の傷を色絵で塗り隠している点と内面の主たる意匠を色絵で塗りつぶしている点で、有田の初期色絵の、いわゆる古九谷様式のうち、特に青手様式に通じる技法である。 有田の大皿は、染付け文様は景徳鎮を忠実に模しているが、色絵の配色を違えている。底が少し垂れて全体に歪みが生じ、色絵も焼きすぎて赤が黒ずんでいて、焼成技術が未熟で試行錯誤している段階を示している。 景徳鎮の大皿とその写しの大皿が一対となって伝世していることは、有田の初期色絵が中国景徳鎮窯作品の直接的影響によって成立したことを示すものであり、肥前陶磁器を研究する上での貴重な資料といえる。また、鍋島勝茂の御道具であったことも考えられることから、肥前磁器の開発における藩主の関与をうかがわせる点も重要である。 (写真:鍋島報效会提供)