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[久保田町][ 寺]は22件登録されています。
久保田町 寺
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龍洞山 大雲寺
宗派 曹洞宗 龍泰寺末寺 本尊 釋迦如来 由緒 宝永6年(1709)邑主村田政種が、龍造寺政家の菩薩を弔うため、久保田元小路に建立されていた多福庵を改築し、佐賀の龍泰寺14世治節和尚によって新たに開山した。以後歴代邑主の菩提寺となった。 墓地には邑主の墓石のほか、「江口保定君墓碑銘」の石塔がある。江口保定(梅定)は西洋医学を学び明治4年好生館教諭から院長となった名医。中林梧竹の書で明治39年4月建立されている。
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元昌山 妙鎮寺
宗派 曹洞宗 本尊 釈迦如来 由緒 寛延3年(1750)銘の『妙鎮寺略縁起』には「龍造寺大和守泰長院殿の息女で、隆信の伯母妙鎮大師が家運長久、子孫繁栄のため天正4年(1576)建立した氏寺である。開基は八戸村龍雲寺の謂山和尚。隆信、政家も御本尊免として、田地、境内地を寄付した。その後、延享5年(1748)に寺の造営、寛延3年(1750)に御本尊、厨子を再興した」とある。 明治末の寺院帳には、「本堂二間ニ六間半、仏間二間ニ二間半、庫裡五間方、境内広く、檀徒百八十人」とある。墓地には本町初の衆議院議員石川又八の頌徳碑がある。
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松寿山 桂秀院
宗派 曹洞宗 高伝寺末寺 本尊 薬師如来 由緒 元亀元年(1570)2月15日 勝海和尚建立、その後万治元年(1658)2月10日 壇中の帰依によって高伝寺10世溪雲和尚を講じて開山とした。寺院調に境内に5間の堂宇と広大な庫裡を有し、檀徒704人を算し、境内に開山建立の観音堂あり。寛文10年(1670)7月長雲和尚によって、字下三ノ坪に大正庵を建立した。
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共同山 寿慶寺
宗派 曹洞宗 本尊 釈迦牟尼仏 由緒 創建不詳 本寺は寳林寺の境外建物として同寺12世悦堂和尚が開山した。その後日蓮宗、天台宗などの宗派の人が住職として寿慶庵を維持してきたが、昭和22年11月、地区の総意により中島松二郎を開基として曹洞宗寿慶寺として再発足、佐賀八戸町龍雲寺第32世碎石和尚を開山とした。
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満岳山 龍顔寺
宗派 曹洞宗 本尊 十一面観世音菩薩 由緒 元亀元年(1570)満岳武蔵守藤原宗久は、父宗茂の遺志を継ぎ、後藤貴明(武雄塚崎城主)の草庵を改築し、本寺を創建した。 墓地には龍道寺隆信の児小姓で16歳で戦死した「烈士福地子之碑」のほか初代村長江口六蔵、2代村長満岡良貴、10代村長蒲原敬一の墓がある。 境内に地蔵堂、六地蔵1対がある。 本寺は佐賀城下 八戸の龍雲寺の末寺で数回改築されているが、年代不詳。
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慈雲庵
宗派 曹洞宗大雲寺末寺 本尊 観世音菩薩 由緒 創建不詳 宝永8年(1711)開基と伝えられている。現在は本堂など寺の建物はない。
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大正庵
宗派 曹洞宗桂秀院末寺 本尊 薬師如来 由緒 寛文10年(1670)7月15日 長雲和尚建立、その後4世洞源和尚を請じ開山とした。堂宇 2間、境内165坪の小庵だった。 現住職 武富義政
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長福山・寶琳寺
宗派 臨済宗南禅寺派 本尊 聖観世音菩薩 創建不詳。開山仙翁竹大和尚。開山は永享12年(1440)没である。明治末の寺院調には「堂宇三間半二七間 境内坪数千三百坪、檀徒九百五十七人」とある。昭和30年に嘉瀬川改修のため、現在地に移転した。寺伝によれば、川の中に流れている仏像を拾いあげまつったと伝えられる。草木田地区の一部を「得仏」と呼ぶのは、この由来からである。立派な山門は寛政9年(1797)の棟札がみえ、「獅子窟」の額が掲げられている。獅子は修行僧のことで、この寺は修業僧の道場でもあった。本堂前の鐘楼は享和年間(1801〜03)、肥前の名工詫田の番匠作といわれている。墓所には読売新聞の創始者の1人である、本野盛亨の墓がある。
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臨江山 宝昌寺
宗派 臨済宗南禅寺派 本尊 釈迦如来 由緒 創建不詳。開基 仲室文公禅師は文明14年(1482)に入寂している。
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補陀山 圓光院
宗派 臨済宗南禅寺派 円通寺末寺 本尊 観世音菩薩 由緒 創建不詳 明治の寺院調に堂宇 3間25間、境内坪数 723坪、壇徒 398人
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福寧山 寿昌寺
宗派 臨済宗南禅寺派 円通寺末寺 本尊 地蔵菩薩 由緒 創建年不詳 開山玖峰良和尚(明応9年没)といわれる。口伝によれば最初寿昌庵と呼ばれる。隣刹の陽盛寺(開山友叟益和尚)と江戸中期合併し、寿昌寺となす。第18世快宗奇和尚のとき本堂再建。 和尚没後廃仏棄釈の嵐に庫裡売却され、法燈まさに滅せんとする時、第19世階膽和尚が廃寺を守り伽藍を完備した。現在の伽藍は昭和31年から44年まで14年に亘って改修築したものである。 寺宝 緋達摩画像(兆殿司筆と伝う) 境内 地蔵堂 (銅板葺)1棟
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歓喜山 興福寺
宗派 臨済宗南禅寺派 本尊 観世音菩薩 由緒 創建不詳 開基 明林久は天正17年10月入寂している。
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楽音山 明春寺
宗派 臨済宗南禅寺派 本尊 薬師如来 由緒 明徳元年(1390)12月8日 明叟大和尚開山。当初楽音寺と号し天台宗に属した。その後多久千葉家一門の千葉明春剃髪して、当寺に入る(年号不詳)。それより楽音寺を楽音山明春寺と改称し、臨済宗に転ず、明春永正7年(1510)没。第3世香林応和尚のとき仏堂を改築。第10世大桃宣和尚のとき仏堂再改築。第12世不淺和尚自己の病気平癒を願い、信徒より淨財を集め大正14年5月、日切地蔵を奉祠する。寺内に森永杉洞の木犀句碑がある。 当寺は中世期火災に遭い記録焼失不明なるも明治維新のとき、隣刹なる光明寺および長勝寺の2か寺を合併した。その遺跡は荒廃して墓石は四散、雑木竹林化した。 寺宝 涅槃像掛軸(年代不評) 梵鐘 (鐘の銘文) 遵晦陟明 其母得子 君奉禹湯 臣仰元凱 肥前佐嘉郡久保田村 塵々訪誰 刹々問己 碑勤紺园园 銘寡文移 施主 担那中 大緣斯成 大功不宰 庻期妙峯 永聳滄海 菩提願主 村岡弥兵衛 松下市五郎 至宝妙光信女 文政二己卯十月十八日 徳島惣助 小比丘 宣大桃謹白 古賀作十 治工 谷口弥右衛門
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恵日山 永福寺
宗派 臨済宗南禅寺派 本尊 聖観世音菩薩 由緒 開山大興和尚と伝えられている。寺院明細帳には文明15年(1483)小城三間寺円通寺末寺として第4世覚海閑悟和尚が設立に寄与したとある。明治初期勝前寺を合併した。
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長寿山 保福寺
宗派 臨済宗南禅寺派 本尊 薬師如来 由緒 開基は天正年代(1573〜92)、龍造寺隆信によって建立されたと伝えられる。当時は十三軒寺ともいわれた。保福寺文書には龍造寺政家の黒印状、馬場赦免証文案、村田安良屋敷地寄進状など、村田氏の手厚い保護を示す書状が伝えられている。現建物は昭和52年改築、本尊の釈迦如来は昭和59年、檀徒の淨財で修復された。
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王子山 三学寺
宗派 天台宗 本尊 聖観世音菩薩 由緒 創建は不詳 奈良時代の終わり頃、風水害防除のため、僧仁海(雨僧正)が三学寺を創建させたと伝えられる。この寺は戦国動乱で数度の火災に遭っている。明治時代の寺院帳には次の記述がある。 1、由緒 宝永6己丑年(1709)旧佐賀藩主親族村田八助久祖村田政利為 祖先本寺14代治節ヲ請開山一寺建置ス 1、堂宇間数、本堂3間27間、仏間2間23間 庫裡5間22間 1、境内坪数 1521坪 1、檀徒人数 86人 住職 室中密参 古賀台山 藤川象山 光山覚禅 寺宝 古文書 4通(村田安良、同氏久、政義の書状)
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醫王山 願福寺
宗派 天台宗三学寺末寺 本尊 薬師如来 由緒 創建不詳 元亀・天正のころ兵火により灰燼になったとの伝えあり。現在の寺院は大正時代初期の再建とみられる。
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彦隆山安養寺 西持院
宗派 天台宗山門派 本尊 阿弥陀如来 由緒 開山は彦山権現の山座主六ヶ坊の触山伏覚鎮法師、永里盛秀が建立と伝えられているが、創建年など不詳。近世の初頭この地方の修験本山派山伏の法頭職を勤めたといわれる。享保17年(1732)火災焼失した。 寺宝 応永11年(1404)銘大般若経の写経本 墓地 宮中寄人歌人千葉胤明、富永佐渡守盛久の墓石、供養塔がある。 明治の寺院調には堂宇 5間24間、境内坪数 230坪 檀徒 104人とみえる。この寺は本藩社寺方役所と交流があったことを示す古文書が残っている。
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林泉山 真光院
宗派 天台宗 本尊 不動明王 由緒 創建不詳 天文年間 龍造寺隆信開基。開山は玄清部の盲僧と伝う。 九州三十六不動霊場第29番札所として知られている。
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乙王山 本能寺
宗派 日蓮宗 光勝寺(佐賀県小城市)末寺 本尊 釈迦如来 多寶如来 日蓮六菩薩 由緒 創建永享2年(1430)と伝えられる。 寺院帳に堂宇 3間ニ3間半、境内 423坪 檀徒人数 200人とみえる。
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昌永山 龍光寺
宗派 日蓮宗身延山派 本尊 十界本尊曼荼羅 由緒 永享2年(1430)10月、塚原大隅守平清房、英僧日親上人の教化を得て、館を寺とした。天保時代(1830〜44)火災に遭うも、時の和尚の力により本尊、過去帳等を持ち出した。 寺宝 日賢上人曼荼羅、日重上人曼荼羅、日乾上人曼荼羅、日遠上人曼荼羅、釈尊大涅槃絵 当寺三三世慈福院日正上人朝廷下賜五条、藤原益宣寄付状(古文書1通) 境内 西原大明神堂、昭和2年当時35世慈明院日露、十方女人の安産守護のため建立した。 末寺に西新地干拓入口に寿福庵龍王社がある。この龍王社地下には法華経1部を本尊として小石6万9384個に経文を書き埋めてある。
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永明庵
宗派 浄土真宗本願寺派 本尊 阿弥陀如来 由来 不詳。初代住職は乘山將幢といわれている。現在本寺には佐賀市嘉瀬津の淨円寺一族が居住、ここ40年間無住である。