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[諸富町][ 神社]は3件登録されています。
諸富町 神社
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大堂神社
祭神 事代主神、大山祗命、豊玉姫命、三女神、平将門 沿革 当社は人皇第91代後宇多天皇の御宇肥前の太守小田祐光は夢に老翁の弓箭を手にし告げて、吾はこの地鎮守の神、故に国土を衛護し万民を鎮護すること久しと、その声雷の如く驚きさめて室外を見れば白羽の矢がありこれを納め、その部下諸富修理太夫も同じ霊夢をみたので両人相談して太宰少弐政祐にきいたところ政祐も同じ夢をみたと、これは正しく神勅であるとし、社殿を建てこれを祀り大堂六所大明神と称した。時に弘安2年11月29日で社田53町余を拝領した。 鍋島日峰公蓮池に居城し氏神として敬信し寛永5年(1623)現在地に社殿を建立した(※)。これが今の大堂神社である。 明治4年2月15日村社に列せられ、大正7年8月2日郷社に昇格した。 明治39年4月神饌弊帛料供進指定 宝物 銅造明神鳥居(昭和46年6月23日佐賀県重要文化財指定)、そのほか絵画、石造物の狛犬、唐獅子等がある。 その他 境内社:樫森稲荷社、厳島神社 例祭:春祭4月29日、秋祭10月29日、祈年祭2月17日 ※『佐賀県近世史料第十編第一巻』p168によれば、「寛永十四年、勝茂様御代、只今之場所へ被為移」とあり、寛永14年(1637)勝茂公の代にこの地に移したとされている。
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太田神社
祭神 事代主神、大山祗命、応神天皇 沿革 当社は太田美濃守藤原資元(浄泉)の創建で大堂六所宮の神霊を分祀し、太田の姓をとり太田神社と称した。 毎年10月には祭礼用として白米2石を供進された。後年太田氏が鍋島氏に属し本藩の国家老として佐賀城へ居を移された後もあつく尊崇され神殿の修理費等寄進されたといわれている。 明治9年9月20日村社に列せられ、明治45年1月25日神饌弊帛料供進指定された。現在5年に1回10月19日大祭が行われている。 宝物 肥前狛犬一対の石造物。
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新北神社
祭神 主祭神 素盞鳴尊 配祀祭神 倉稲魂命、大山昨命、天照大神、市杵島神、武甕槌命、仁徳天皇、三女神、十城別命、岡象女神、綿津見命、鍋島勝茂(無格社合祀による) 沿革 当社は人皇31代用明天皇の御宇創建されたといわれ、52代嵯峨天皇(810〜823)の御宇御勅使三条大納言郷が再建された。 川副三郷の崇廟神で藩主代々の崇敬の神社で、藩主光茂は万治3年(1660)八幡宮、淀姫社、妙見社を、寛文7年(1667)大堂六所社を宝殿内に祀り相殿とされたが(※)、維新の時八幡宮、妙見社、大堂六所社は仏体であるということで三重の円城寺に移された。 維新前までは大祭の時は藩主より費用が出されていた。 明治2年氏子調では3,257戸であったが、明治4年12月郷社に列せられ氏子は八百余戸に減ぜられた。 当社のある所を古くは三重村新北ヶ里といわれていたので新北を社号としたと伝えられている。 明治43年10月13日神饌弊帛料供進指定 宝物 天狗面2枚 裏面に宝淋院澄尊元亀3年(1572)壬申9月吉祥日作者等元 刀一口 奉宝納新北大明神御剣元和10年(1624)甲子2月彼岸内田織部少輔平忠正の作 短刀一口 奉喜進、新北宮御宝前、御宝劒之事、願主伊勢守平貞次敬白、文禄元年(1592)丙申8月1日 額1面 文久2年(1862)鍋島摂津守真與殿其書を刻み之を奉納す。 刻者 小城牛尾山藏坊梅崕 その他石造物狛犬等多数ある。 その他 境内社:八坂神社、稲荷神社、大神宮、宮地嶽三柱神社、淀姫社 例祭:春祭4月19日、秋祭10月18日・19日、祈念祭2月21日 佐賀県重要無形文化財「三重の獅子舞」は秋の祭典に奉納されている。 ※『佐賀県近世史料第十編第四巻』p230には、寛文7年(1667)に社殿を再建した際、八幡宮・淀姫宮・六所社・妙見社の四社を相殿として勧請した、とある。