検索結果 RESULT
- 旧佐賀市
- 検索結果
[旧佐賀市][ 鳥居]は3件登録されています。
旧佐賀市 鳥居
-
日子神社の肥前鳥居
形式は肥前鳥居である。 肥前鳥居は肥前を中心として江戸初期に大部分が建立されている。また、藩主や領主層、寺などから寄進されたのが多く、銘文等立派なものが多く、鍋島町内の各所にも多く見られる。 ○ 銘文 安政5年(1858)丙辰十一月吉日氏子中 額束:玄妙山
-
来迎寺天満宮の鳥居
天満宮の鳥居は、建立が元禄14年(1701)で、赤穂浪士の討ち入りの1年前である。この頃は肥前鳥居から明神鳥居に移った時代で、石工は平川徳兵衛安明で砥川の石工集団の1人であろうといわれている。 願主は、見得寺住山単誉とあり、慶応4年(1868)廃仏毀釈まであったとされる、島崎の見得寺住職で宮司は専了とあり、来迎寺の寺の僧侶と思われる。 砥川石工集団活躍の時代は、元禄の初め(1688年)から宝暦(1764年)頃までで、石工の組頭は(平川)武富、永石、陣内。
-
金立町の肥前鳥居
金立神社の肥前鳥居を含め、金立町内には白髭神社の鳥居のほか3基あると思われる。 肥前鳥居は、天正時代(1573〜1592)に始まり、慶長年間(1596〜1615)と寛文年間(1661〜1673)に集中的に作られたといわれており、延宝年間(1673〜1681)をさかいに明神鳥居に移っていったとされている。