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[旧佐賀市][ 灯籠]は5件登録されています。
旧佐賀市 灯籠
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石灯籠
石灯籠は仏教とともに、中国を発祥の地として朝鮮に入りわが国に伝来したものである。やがてそれが神社にも及び我々の信仰や生活に欠くことのできない存在となったものである。当初は仏堂や社殿の前に1基だけ設けられたものがやがて一対になり今日見るようになった。 室町時代末期から茶庭にも取り入れられるようになり変形のものが珍重されるようになった。近世以降は一般の家庭の庭園にも設けられるようになった。 灯籠の構成を見ると上から宝珠、笠、火袋、中台、竿、基礎、基壇からなっている。
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高傳寺織部燈籠
八太郎槇の近く、庫裏南側塀前にある燈籠で、竿石も少し偏平で上方に円く張り出しがあって、その上に正面四角の笠をのせてある。これは桃山時代の茶人古田織部が考案したものだそうで、それから織部型の名が出たのである。 織部型の竿を変型十字架と見て竿下方に彫ってある立像を宣教師像と見てこれは潜伏切利支丹の信仰物として考案されたものだとも言われている。
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鹿子天満宮石燈籠
鹿子天満宮の社前には、鍛冶屋村のお宮から移した石燈籠と唐獅子系狛犬がある。 天保十二年(1841)二月 石工筒井長右衛門 寄進(46名)
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金刀比羅神社の御神燈
この御神燈は大正8年に建立されたもので、用材はすべて四国の琴平より運ばれたもので諸富の港に荷上げされ金立まで約1週間かかって当時の金立村青年団が運んだといわれている。現在なお御神燈は有明海の航海安全のため照らし続けている。
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与賀神社の水辺の燈篭
水辺の燈篭は昔、前の宮川で幼児がたびたび川そう(かっぱ)に引き込まれ水死したので石灯篭一対を川の中に建立し、今後この燈篭が立っている間は絶対に子どもをさらわないと「川そう」に誓わしめ、以来その難をまぬがれ子どもの水死はなくなったと伝えられている。なお燈篭にはそれぞれ次の年代が刻まれている。 北の燈篭銘「元禄十六年(1703)云々」 南の燈篭銘「享保四年(1719)云々」