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[諸富町][ 彫刻]は4件登録されています。
諸富町 彫刻
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木造不動明王坐像
重要文化財
不動明王は、治病・安産・災害の除去・怨敵降伏・財福を得るなどの広く種々の祈願をかなえてくれるとされた。 この像は、右手に宝剣、左手に羂索(欠)を持つ忿怒形の一面二臂像である。像高 65センチメートル(光背含む 128センチメートル)で、桧の寄木造りで彩色を施し目には水晶をはめこんでいる。像の底に朱書銘があり、京都の仏師の杉伊左衛門により、享保元年(1716年)に造られたことがわかる。
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木造阿弥陀如来坐像
重要文化財
本像は、全高72センチメートル、像高30センチメートルの上品下生(じょうぼんげしょう)印を結ぶ阿弥陀如来坐像である。頭と体は桧の一木造りで、別材の膝や手首先を寄せ合わせている。像の底に墨書銘があり、応永18年(1441)に造られ、川副の寺院に安置されたことがわかる。 光背と台座は別の仏像のもので銘文から、岩蔵寺(小城市)の虚空蔵菩薩像のもので元亀4年(天正元年・1573)に製作されたことがわかる。
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木造阿弥陀如来立像
重要文化財
光専寺は、肥前国最初の真宗道場と伝えられ、清和源氏の竹田刑部小輔太郎信重を祖とする甲斐民部大輔神四郎(教明教師)により建立されたと伝えられる。 阿弥陀如来立像は桧材の寄木造で、玉眼、漆箔像で像高77センチメートルである。 光専寺の伝承では、浄土教を全国に広めた源信僧都の作と伝えられているが、鎌倉時代の専門仏師の作と考えられる。胸が厚く優美に流れた衣は、快慶様のたくましさと繊細さがうかがわれ、来迎引接(らいごういんじょう)の姿をとり、西方浄土にあって大悲による永遠の救いをする阿弥陀如来の功徳をあらわしている。
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一木七仏薬師如来立像 一躯
重要文化財
東光寺の開基は明らかでないが、寺伝では天平年間(729〜765)川副七仏薬師の1体をまつる薬師堂に始まるといわれている。 薬師如来は東方にある極楽浄土瑠璃光世界の教主で、修業中、十二の大願をたてた。このことから万病を癒し、人の寿命を延ばし、医薬をつかさどる仏として古くから信仰された。 東光寺の薬師如来は、像高は137.5センチメートルで左手首が破損している。 寛文5年(1665)大木惣衛門が著した『肥前古跡縁起』によると、「川副庄に伝わる一木七仏薬師如来は、行基の作で、仏教の普及により安泰を願っていた聖武天皇の勅願により楠木の一木を使い七体の仏像をつくりこの地に納めた。一仏より七仏まで詣でることにより、その霊験があらわれると多くの人から信仰を集めた。」と記されている。