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[諸富町][ 工芸品]は6件登録されています。
諸富町 工芸品
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天女絵柄半鐘 一口
重要文化財
通常、口径1尺8寸(約54.5cm)以上のものを梵鐘と呼び、それより小型のものを半鐘という。(別の説もある)。この半鐘は、寛文11年(1671)に植木善兵衛が東光寺のために製作したことが銘文からうかがえ、総高46.3センチメートル、外口径は30.4センチメートルを測る。善兵衛鐘によく見られる天女(吹笙飛天)の絵柄が陽鋳されていて、植木(樹)善兵衛正住は江戸時代前半に活躍した佐賀の鋳物師で、およそ50個の鐘が県内各地の寺院などで確認されている。
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一石五輪塔
重要文化財
五輪塔は、仏教で言う地・水・火・風・空の五大をあらわすものとし、主に供養塔・墓塔として使われる仏塔の一種である。本来、五輪の各部を別石で造るのが一般的であるが、全体を一つの石で彫り出した様式を一石五輪塔という。 大分県臼杵市中尾の嘉応2年(1170)より始まり、一般の五輪塔とほぼ平行して造立されている。しかし、室町時代に入ると小型のものが近畿地方を中心に多出するようになるが、それらは、個人的な信仰色が強く、大きさも60センチメートル前後と小形化し、簡略化されるのが特徴であり、このことは、産地で量産されて搬出されたとみることができる。 多聞院の一石五輪塔は、総高91センチメートルで、一石五輪塔としては大型である。製作年代は室町時代と推定される。
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銅造弁財天坐像
重要文化財
弁才天は古代インドの五河地方の川の女神で農業神として崇崇された。のちに音楽神と知恵の神に転じ、さらに鎌倉時代以降は福徳神の性格が強くなり、七福神の一員に加えられた。 安龍寺の弁才天坐像は、像高57センチメートルで宝冠を被り、輪光背をつけ結跏趺坐をした像である。金光明経に説かれている8臂の弁財天像で、頭頂には鳥居と人頭蛇身の宇賀神を置き、宝珠と輪宝と雲文であしらった宝冠をかぶっている。髪にかかる前髪は耳の中ほどを通して後部の髪とまとめ、冠紐とともに両肩に垂れかかる。面相は福神にふさわしく弧を描く眉は三日月形に眉尻を下げ、目を細め、口元をゆるめて微笑する。 体部についてみると、8手のうち右側4本の手には宝剣、宝箭(ほうせん)、宝棒、羂索(けんさく)、左の4本の手にも宝珠、宝弓、輪宝、宝斧の順に持物をもたせている。両肩前に各1ヵ所、腹前に各1カ所、腹前にはくくった腹帯に沿って3ヵ所に瓔珞(ようらく)を懸け、体をにぎやかにしている。 本像の鋳像技術は確かで安定しており優れたできばえを示している。近世の鋳銅像はその殆どが戦中供出されて遺例が見当たらず、当時の信仰は勿論造像の技術について知る機会を得なかった。本像はそれを知る資料として貴重である。
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太田神社肥前狛犬 一対
重要文化財
肥前狛犬は江戸時代の前期を中心として製作された石造狛犬である。本県に分布する肥前狛犬の特徴は、一般的に小型であって極めて静的であり、弧線と直線とをもって大胆に造形されている。前肢を立て、後肢を前へ伸ばした側面観は四分の一円周に近く、正面観は長方形に近い。頭髪・尻尾などの細部の表現を省き、四肢と胴体の間は材石をそのまま残して、四肢や胴部の線を浮彫的に彫り出している。このような特色から現在拝殿前に向き合って安置されている狛犬とは基本的に性格が異なり、木造狛犬のように、神殿内に拝殿の方へ向け並列して安置されていた屋内狛犬であったと考えられているが、太田神社の狛犬は、肥前狛犬としては、比較的大きいものである。 像高は、雄57センチメートル、雌50センチメートルで、銘はなく製作年代は不明である。
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大黒天坐像
重要文化財
大黒天は、インド・中国では古くから寺院の守護・豊饒をつかさどった神であった。わが国でもはじめは護法善神として食堂に祀られていたが、近世以降はえびすとともに福神の代表的な存在となった。その像容は、左肩に大きな袋を背負い、右手に打出の小槌を持って米俵の上に立つのが一般的である。 大黒天は、農村地帯では甲子待の主尊とされ、甲子講中の造立が多く、県内でも旧十一月子の日に二股大根を供えて祀る風習がある。大黒天の造立の目的はほかに福神信仰に基づく造立もある。また、社寺の境内に置かれるなどして寺社が造立に関与している場合も多い。 像高は、78センチメートル、台座まで含めると1メートル10センチメートルである。 台座の銘文に、 天保四癸巳年二月吉祥日 當庵四世徳壽院〇〇 とある。この銘により天保4年(1833)に建立されたことがわかるが、宝光院における由来は明らかでない。
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道祖神「なんじゃもんじゃさん」一対
重要文化財
安龍寺の境内に一対の男女像の石像が祀られている。夫婦像といわれ、男性像は銚子と杯を持っている通称「な(あ)んじゃもんじゃさん」といい、女性像は右手を上げ、左手は印らしきものを結んでおり通称「銭(ぜ)んがないさん」という。夫が「酒買うてこい」と言うと、妻は左手の指で円をつくり「「銭んがない」と突っぱねていると地元では伝えられている。男性像は像高71センチメートル、女性像は像高72センチメートルで、制作年代は江戸時代と推定される。