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[旧佐賀市][蓮池校区]は150件登録されています。
旧佐賀市 蓮池校区
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雲菴道人帰田詩碑
天賜園より移されたもので、8代藩主直與の帰田の詩10首を刻んである。鐫字人筒井新吾。嘉永2年(1849)春2月浄書、3月22日天賜園に建つと誌してある。
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頌徳碑
公爵徳川家達の題字。裏面に永田暉明撰の真與公頌徳文あり、明治44年の肥筑大演習の際に、正四位を追贈され、その書画筆跡が天覧に浴したことを伝えている。
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戊辰出征記念碑
表の上部に横書きで忠武碑とあり、正三位勲二等男爵船越衛(東北游撃軍参謀長なりし人)撰になる碑文を刻し、裏に「鍋島子爵、出征者或遺族、一般賛同人」と刻してある。明治37年5月建立。碑の前に左右に2本の石の円柱があり、向って右のものには出征者氏名を、向って左のものには賛同者氏名を刻し永くその芳名を伝えている。
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忠魂碑
かつては日露戦役忠魂碑として建立されていたが、戦後その台石をそのままに、当時の鍋島直紹県知事の題字を刻した碑を立て、日清戦争から太平洋戦争に至る蓮池町出身戦没者の氏名を刻した石塔を配して、今も春秋に慰霊祭を行っている。
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雲叟公歌碑
昭和7年2月22日、廟行鎮の戦闘で我が身を肉弾として鉄条網と共に粉砕した、江下、北川、作江の3人は軍神爆弾三勇士として当時の国民を奮いたたせたが、その一人江下武二伍長は蓮池町(古賀)の出身であった。昭和9年2月22日、江下伍長顕彰会によって蓮池公園に十字鍬を杖に、廟行鎮の空をにらんだ江下伍長の銅像が建設された。終戦によって銅像は米軍を顧慮して取払われ、後に礎石のみが空しくそびえていた。その跡を如何にするかで色々と考えられたが、昭和33年にその礎石を利用して歌碑を作ることになり、蓮池中興の英主雲叟(8代直與)公の歌碑が4月6日建立された。 「のどかなる 春のすがたを 力なき 柳の糸に 見する朝風 雲叟」 (江下伍長の銅像は、三田川自衛隊の記念館に、現存している。※) ※正しくは陸上自衛隊の目達原駐屯地で、銅像の原型となった石膏像が広報資料館に展示されている。
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句碑
公園の先得亭の西南江湖畔にある。 「一声の 江に横たふや 郭公 ばせを翁」 とあり、一説に松尾芭蕉とも言うが、真偽の程、建立その他詳かでない。しかしこの句碑あたりの初夏のたたずまいは、まさにこの句そのものであった。もと中地にあったものを、ここに移したとも言われる。
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八幡社御宝物(絵巻)
2軸あり、2軸共創建者鍋島直之公が奉納したもので、その内容は祭神が未だ御母后胎内におわしたまま、三韓退治をされた奇蹟を記述し、また崩御後の霊徳示験を詳説したもので、その間に極めて巧妙な錦絵十数枚を挿入した絢爛たるものである。また、その外装は2軸共に開端の前表は錦の布、裏は無地の金箔を装い、その軸端は六角型水晶石を使用してありその表装は極めて珍重な物である。
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恵比須さん
魚屋の店主が昔、商売繁盛をという祈りをこめて恵比須さんを建立したものである。 随時、花、水を取り替えて盆正月に供物をあげている。 特に祭行事は行っていない。
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恵比須さん
毎年8月20日にえびす祭を行っている 新町組一同で、豆や、季節の果物を供えて祭りを行っている。
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新町組の恵比須さん
毎年8月20日の夜に新町組全員が集い、お祭りを行っている。
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渡場組の恵比須さん
渡場組(7戸)で毎年8月20日にお祭りをしている。蒲田津の渡し場は蓮池藩の御番所があり、重要な荷揚場であった。 肥料、芋を積んだ出船、入船で賑わい、海運の安全、商売繁盛を願って建てられ家の一角に鎮座している。
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番所組の恵比須さん
蒲田津東の番所組で持つ角エビスである。昔から丸い石のほうが大黒様で細長い石が恵比須さんと言い伝えられている。 話し合いにより大正11年に今の恵比須さんになった。商売の神様として受け継いでいる。 この番所組には古い大黒様と恵比須さんがおられることが一番である。
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榎の下組のお地蔵さん
本尊は地蔵菩薩4体で建立は不詳であるが、昔から榎の下組、町人の守り尊として管理され祀られている。 祭礼行事は毎年8月24日に榎の下組の子ども達と大人が一緒になって豆や、季節の果物をお供えし、千灯籠祭りを行っている。
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鎮西出雲大社の大黒さま
蒲東の鎮西出雲大社境内にある。 平成12年2月に森山繁次氏から寄贈された。
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脇宮の御神体
鎮西出雲大社の脇宮として古賀の地にあったものである。 社殿も昭和初期に取りこわされ、城原川の大改修で数体あった御神体を出雲大社境内に移したものである。 脇宮の代表者(古賀地区)は毎年元旦に揃ってお礼詣りに訪れ、直会の礼遇を受けるのが慣わしとなり、現在も受け継がれている。
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翠幼稚園内の子育地蔵菩薩
幼稚園の開園にあたり、基山の「真言宗・仁恩の滝・吉祥寺」から「園児、諸人の無事息災祈念」のため御山に安置されていた子育地蔵菩薩を拝領したものである。 昭和35年5月に蒲東、堂地の篤志家に背負われて来られ奉られた。8月24日に地蔵盆として盛林寺住職の読経の後に子ども達がおまいりする。
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恵比須さん
明治初期、肥料問屋だった当主は、天草、五島から船で仕入れをしており、祖父が天草から持ち帰り家の北東の位置に祀ったといわれている。 毎月1日にお花、水をあげてお参りするが、8月20日にはオッパンさん、水、花、豆をあげて千灯籠祭りをしている。何の石像かは不明であるが、海から引き上げて持ち帰ったといわれている。
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恵比須さん
北東の鬼門隅に祀られている。
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地蔵尊
圃場整備工事で出てきたものである。 個人の堀岸から出てきたので個人で祀っている。
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龍王さん
水門を守る神様である。堂地の水利組合で管理して、毎年7月中旬に神事を行っている。
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堂地の天神さん
学問の神様と言われている。 11月中旬の日曜日にお祭りをしている。 昭和60年現在地に移動
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延命地蔵菩薩
子どもを守る神様として祀られている。 毎年8月16日のお盆に煮豆、果物等をお供えし、子どもを中心に地元の人たちがお賽銭をあげてお参りする。
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恵比須さん
所在地の「男鬼門角」の位置にある。 鬼門を清潔に保つため、七福神の一つ恵比須を設置している。 8月20日に千灯籠を行い祭っている。
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小松のお地蔵さん
毎月4日、14日、24日のお地蔵さんの日は地域の人達が参られる。毎年8月に小中学校の生徒と親共々豆を炊いて、千灯籠祭りを行っており、イボの消える地蔵さんもいる。
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小松の八大龍王
毎年8月に小中学校の生徒と親共々、豆を炊いて千灯籠祭りを行っている。 ひゃーらんさん祭りとして水難事故に遭わないよう村中でお参りをする。
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恵比須さん
商売をしていたこの家の先祖が鬼門隅に恵比須さんを祀ったと伝えられている。1日と15日に花や水、塩を供えている。
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古賀公民館如来堂
本尊は薬師如来と阿弥陀如来が並んで祀られている。 由緒は不詳であるが古くから村人の守り尊として親しまれている。毎年7月10日頃に地域の婦人会が「豆チャーゴ」と称して千灯寵祭りを行っている。
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六地蔵
園田氏宅の南に古い六地蔵があり、由来、建立等については、一切はっきりしたことは判っていない。しかし、蒲田城主と崎村城主との争いがこの付近であり、両者多数の死者が出たとのことで関係ある人が六地蔵を建立して霊を慰めたものと思われる。
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古賀公民館の天満宮
天満宮の祭神は菅原道真、創建は不詳であるが、昔から村の鎮守の神として祀られている。もともと城原川の東端にあったが河川改修により現在の古賀公民館の敷地内に移転した。 祭り行事は毎年12月25日に神主祭典により「ハダラ祭り」と称し子ども達の祭りを行っている。稲荷宮、大神宮は公民館の敷地内に天満宮と並んで祀られている。 毎年12月25日の天満宮「ハダラ祭り」を合同祭りとしている。
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お天神さん
毎月1日にお供え物をして参っている。 家が堂の内と呼ばれるところであり、父が柳川から持ってきて祀ったといわれている。