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[指定文化財][国][考古資料]は2件登録されています。
指定文化財 国 考古資料
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佐賀県築山経塚出土瓦経 二二九枚
重要文化財
築山経塚は佐賀市大和町大字尼寺に所在する築山公園内の築山古墳上にある。周辺には肥前国庁跡、国分寺跡、国分尼寺跡が位置し、奈良時代から平安時代にかけての肥前国の中心地に造営されたことがわかる。 瓦経は長方形の粘土板に仏教経典を錐やヘラなどで書写し、素焼きしたものであり、末法の時代を迎えた平安時代後期の人々が五十六億七千万年後の弥勒菩薩出現まで経典を残すため、地中に理納したものである。 経塚は横穴式石室をもつ前方後円墳、築山古墳の後円部頂部に造営されている。瓦経及び刀子は経塚内部に築かれた直径約1メートルの石囲い内より出土した。 瓦経の大きさは、平均縦20.7センチメートル、横16.0センチメートル、厚1.0センチメートルの素焼きの粘土板に.界線・罫線をひき、表裏二面に経典を書写する。 書写された経典は、妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)174枚、無量義経(むりょうぎきょう)20枚、観普賢経(かんふげんきょう)18枚、阿弥陀経(あみだきょう)6枚、般若心経(はんにゃしんぎょう)2枚、法華懺法(ほつけせんぼう)3枚、さらに、仏画を刻んだ絵瓦が4枚、無地の瓦が2枚である。 妙法蓮華経巻第一の奥書に相当する瓦経および法華懺法奥書に、天養元年(1144)の銘、ならびに造営に関係した勧進僧・願主・筆僧らの人名も刻まれているものが確認されている。 本経塚出土遺物は、平安末期の人々の信仰の深さや思想のあり方を物語る全国でも極めて貴重な遺物である。これまで全国的には断片的な発見が多く、築山経塚のように瓦経の埋納状況が理解できるのば極めて少な.い。
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舟形石棺(附あり) 一合
重要文化財
佐賀市久保泉町川久保にある標高55.5メートルの熊本山の北側高所から箱式石棺1基、南側高所から箱式石棺5基と舟形石棺1基が昭和36年(1961)に出土した。 舟形石棺は、径30メートル余りの円墳と思われる高まりの土中に直接埋置されていた。福岡県八女(やめ)地方産の阿蘇熔結凝灰岩を3室に刳りぬいた身と蓋(ふた)からなる石棺は、長さ4.3メートル、最大幅88センチメートル、身の最大高53センチメートルと長大で、内面は赤く塗彩されている。身・蓋とも刳り抜きや両端にある孔は対応し、身の両側面にも円孔が見られる。身の底部は、舟底形を呈しゆるやかな曲線をえがき、内部は、主室を中心に両端に副室を設けておりその構造は舟型石棺の名称にふさわしいものである。 中央室の刳り抜きは長さ2.03メートルで、造り出し枕に頭を置いた人骨1体と差し違えてもう1体の人骨があり、鉄剣2口・鉄刀1口が出土した。中央室の両側にある小形の刳り抜きのうち、枕側の北室に多くの副葬品が納められており、南室からは用途不明の鉄製工具1個が発見されたのみである。 北室からは、革綴(かわつづり)式の短甲(たんこう)1具、四獣鏡1面、鉄剣1口、釶(やりがんな)1個、鉄針1本、ヒスイ製とメノウ製の勾玉(まがたま)各1個、碧玉製管玉(へいぎょくせいくだたま)18個、水色のガラス製小玉162個、碧玉製紡錘車(ぼうすいしゃ)2個が出土した。獣帯鏡(径10.7センチメートル)は徳島県節句山2号古墳出土鏡と同じ鋳型で鋳造されたもので、熊本山のものが後鋳品である。 この舟形石棺は、その構造および副葬品などからみても、畿内地方の文化の影響を強く受けた5世紀前半ごろの所産であると考えられる。