愛右衛門橋
愛右衛門橋
■所在地佐賀市水ヶ江三丁目
■年代現代
■登録ID2426
多布施川がこの付近までさかのぼっていることから、藩政時代には多布施川の上流まで川砂をとりに船が上り下りをしていたという。砂をとらない時は船をはしけのかわりに横に並べ人を渡していたといわれている。その船頭役をつとめていたのが愛右衛門といわれていることから、この橋の名前がつけられたという。
今日では川幅が狭くなり周辺には民家が密集し、往時の面影を見ることはできないが、かつてはこの川も清流で種々の魚が泳ぎ風情がただよっていたといわれている。現在ある橋は、昭和58年10月につくりなおされ、当時の姿はどこにもないが「親柱」に「愛右衛門橋」という名前だけが刻まれている。
出典:あゝ佐賀城その歴史と周辺P37
通称・あいよんばし
多布施川支流の愛右衛門川にかかる橋の名「愛右衛門」については、多布施川の川砂とりの船頭愛右衛門が川砂とりをしない時はこの地に舟を並べて舟橋をしていたためという伝えがあるも、はっきりしない。
この橋が有名になったのは、明治37(1904)年2月に佐賀馬鉄が明治橋(大財通り馬責馬場北)から諸富まで営業を開始し、その本社・車庫が橋南詰に設けられたことによる。馬鉄停車場跡の碑が地元の医師吉原氏により建てられた。なお、馬鉄とはレールの上の客車を馬が引く輸送方法である。
出典:佐賀城とともに 赤松の歴史と文化p86


