長崎街道(徳万宿・久保田宿)

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長崎街道(徳万宿・久保田宿)

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■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1471

長崎街道は、現在の嘉瀬橋の南側を通り、徳万の西交差点から香椎神社の北側に沿って西へ久保田宿、牛津へと通じています。久保田宿は、戦国時代に繁栄した宿場で、東の外れに電光型の死角道があったが、昭和12年の国道改修で姿を消しました。徳万宿は、江戸時代に参勤交代街道の宿場町として知られています。尾張の商人菱屋平七の筑紫紀行に「板橋より渡りてとくま宿に至る。四丁計の町なり。茶屋あり。」と記しており、旅籠屋もあったことが知られています。

出典:ワークショップ